近視手術の説明義務違反にともなう損害賠償請求事件


民・商事民法、医療過誤

近視矯正手術(レーシック手術)により遠視化したことについて,手術に関する説明義務違反が認められるとして、自己決定権侵害に対する慰謝料が認容された事例

対象事件 : 大阪地裁平19(ワ)第11474号
事 件 名 : 損害賠償請求事件
年月日等 : 平21.2.9第17民事部判決
裁判内容 : 一部認容・控訴
弁論終結 : 平成20年11月5日

【参照条文】

民法709条

解 説

1 本件は、Yクリニックで近視矯正のためにレーシック手術を受けた後、遠視化(術後遠視)が生じたⅩが、医師らに説明義務違反があるなどとして、Yクリニックを開設する医療法人Yに対し、債務不履行又は不法行為(使用者責任)に基づき損害賠償を請求した事案である。

レーシック手術とは、角膜屈折矯正手術の一種で、近視や乱視の度数に応じて、眼の表面の角膜にエキシマレーザーを照射して角膜実質を削って角膜のカーブを変化させ、眼の屈折力を正常に戻すことによって近視や乱視を治す矯正方法である。

2 レーシック手術の説明としては、Yクリニックの医師らが、初診時、Ⅹに対してYクリニック作成のパンフレットを交付して示しながら、レーシック手術の手順、合併症、手術の成功率は100%ではないので希望する見え方にならない可能性があり、その場合は再手術が必要になることなどを説明したが、術後に遠視化が生じる可能性があることについては説明せず、上記パンフレットにも記載がなかった。
Ⅹには、手術後、遠視化が生じ、裸眼視力が低く,眼鏡又はコンタクトレンズの装用が必要である等の後遺症が発生した。

Ⅹは、説明義務違反において、Yクリニックの医師らにおいて、レーシック手術の結果遠視化が生じる可能性があること及び術後遠視の内容、程度を説明すべき義務を怠った過失があるなどと主張した。これに対し、Yは、術後遠視が生じる可能性があることについて説明しなかったことを認めた上で、その理由は、遠視を遠くがよく見える状態であると誤解する患者が多く、術後遠視が生じる可能性があることを説明することによってかえって患者が混乱するためであり、手術に先立って近視矯正手術の原理を説明し、その際に術後に希望の視力にならない場合があること、その場合は視力安定後に再手術が必要であることを説明したことによって説明義務は尽くされているなどと主張した。

3 本判決は,説明義務違反の主張について、術後遠視は、エキシマレーザーによる近視矯正手術による合併症の中で最も避けなければならないものの一つとされており、日本眼科学会のガイドラインにも将来を含めて遠視とならないことを目標とする旨明記されていること、手術当時のⅩの近視度数は両眼ともに-6D以上(右眼-10.25D、左眼-10.75D)と強度の近視であったところ、近視が強度の場合は過矯正が生じやすく、近視度数(S)-6D以上の矯正では術後遠視が生じる頻度が高くなるとの報告があり、その場合には術後遠視が生じる可能性があることを患者に十分に説明する必要があることが文献上指摘されていることなどを理由に、Yクリニックの医師らには手術の合併症として術後遠視が生じる可能性があることを説明すべき注意義務があり、術後に希望の視力にならない場合があり、その場合は視力安定後に再手術が必要である旨の説明によって患者は術後遠視が生じる可能性があることを認識することは困難であるというべきであるから、Yクリニック医師らは術後遠視についての説明義務を尽くしたということはできないと判断した。その上で、Ⅹはレーシック手術を受けることについて強い意向があったこと、Ⅹは手術当時30歳であったところ、若年者の場合、過矯正は生じにくく、多少の遠視化は問題とならない場合が多く、再手術による回復・改善可能性があることなどを理由に、自己決定権侵害に対する慰謝料(50万円)のみを認めた。

4 医師の説明義務は、①患者の有効な同意を得るための説明義務、②療養方法の指導としての説明義務に分類するのが一般的であり、本件で問題となっている①については、医師は、生命、身体に軽微ではない結果を発生させる可能性のある療法を実施するに当たっては、緊急状態である等特別の事情のない限り、患者が自らの意思で当該療法を受けるか否かを決定することができるようにするために必要な情報、すなわち、当該疾患の診断、実施予定の療法の内容や危険性等を説明すべき義務があるとされている。

レーシック手術を含む近視矯正手術は、患者の生命・健康の維持のために必須とまではいえず、緊急性も乏しいため、合併症が生じる危険性があることを、患者が手術を受けるか否かを十分に検討した上で判断できる程度に十分かつ具体的に説明すべき義務があると解されている(大阪地判平14.8.28判タ1144号224頁参照)。なお、近視矯正手術に関するものではないが、最二小判平18.10.27判タ1225号220頁は、予防的な療法(術式)の実施に当たっては、経過観察という選択肢も存在し、時間的余裕もあることから、患者がいずれの選択肢を選択するかについて熟慮の上判断することができるように、医師は各療法の違いや経過観察も含めた各選択肢の利害得失について分かりやすく説明することが求められると判示している。

5 レーシック手術の実施に当たって医師に具体的にいかなる内容について説明義務があるかについては患者が手術を受けるか否かを判断するために必要な情報であるかという見地から,個別具体的に判断する必要がある(合併症の危険性の説明は発生頻度に応じて行うべきでありレーシック手術によってはほとんど発生する危険性がないとされる合併症についての説明義務を否定した裁判例として東京地判平17.3.4『医療訴訟ケースファイルVol.2』389頁がある)。本件は,術後遠視は発生頻度がそれほど高いとはいえないものの、最も避けるべき合併症の一つであり、本件患者のように近視が強度である場合には発生しやすい旨医学文献に記載されていることなどを考慮し、説明義務違反を認めたものである。

本裁判例は、近時広く実施されつつあるレーシック手術後に関し、遠視化という発症頻度がそれほど高くない合併症についても説明義務違反を認めた例として紹介する。(関係人一部仮名)

原       告   甲 野 太 郎
同訴訟代理人弁護士   小 田 耕 平
被       告   医療法入社団稜歩会
同 代 表 者 理 事 長   吉 田 圭 介
同訴訟代理人弁護士   高 橋 茂 樹

主   文

1 被告は、原告に対し、55万円及びこれに対する平成19年2月11日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

2 原告のその余の請求を棄却する。

3 訴訟費用は、これを15分し、その1を被告の、その余を原告の負担とする。

4 この判決は、第1項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第1 請求
被告は、原告に対し、1000万円及びこれらに対する平成19年2月11日から支払済みまで年5分の割合による金貞を支払え。

第2 事案の概要
本件は、原告が、被告が開設する神戸クリニック(以下「被告クリニック」という。)広尾院において、乙山純医師(以下「乙山医師」という。)の執刀によるレーシック(LASIK)手術(以下「本件手術」という。)を受けた際、矯正視力を過度に高く設定するなどの注意義務違反があった結果、原告の視力が遠視化したなどと主張して、被告に診療契約上の債務不履行又は不法行為(使用者責任)に基づき、原告に対し、1000万円(損害額の内金)及びこれに対する平成19年2月11日(債務不履行及び不法行為があった日の翌日)から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。なお、以下、平成19年の出来事については、月日のみを記載する。

1 前提事実(争いがない事実)

(1)当事者
ア 原告は、昭和51年7月*日生まれの男性である。
イ 被告は、神戸クリニックという名称の眼科クリニックを開設する医療法人社団である。

(2)診療経緯
ア 原告は、11歳ころから近視のため眼鏡を装用するようになり、19歳からはソフトコンタクトレンズを装用していた。
イ 原告は、2月7日、被告クリニック三宮院で丙川薫医師(以下「丙川医師」という。)の診療を受け、同日、視力検査等が実施された。それによると、裸眼視力は両眼ともに0.01、原告本人の眼鏡(右眼はS(sphere。球面度数、近視度数を表す。単位は「D(diopter)」。)-9.00、C(cylinder。円柱度数、乱視度数を表す。単位は「D」。)-1.00、A(axis。円柱方向の軸方向を表す。単位は「°」。)179、左眼はS-9.50、C-1.25、A175)による矯正視力は両眼ともに1.2であった(以下,同日の視力検査の結果を「2月7日検査結果」という。)。

丙川医師は、原告に対し、原告の視力は、左右両眼ともに、乱視は強くないものの、強い近視であり、PRK、レーシックのいずれの近視矯正手術についても適応があると説明し、同日施行された眼底検査の結果、右眼に網膜円孔の疑いがあるので、近視矯正手術をするまでに眼科専門医による眼底検査を受けるように指示し、近視矯正手術の合併症については、被告作成のパンフレット(以下「本件パンフレット」という。甲A1)を一読するように指示し(なお、本件パンフレットには、予測される合併症として,遠視についての記載はない。)近視矯正手術に起因する遠視(以下「術後遠視」という。)については説明せず、近視矯正手術を行うとすれば、最新型のレーザー照射機がある被告クリニック広尾院で施行することになると説明した。

ウ 原告は、2月8日、居住地の近くの鳥取市立病院で眼底検査を受けたところ、右眼は網膜硝子体癒着であって網膜円孔ではないと診断されたため、同月10日に被告クリニック広尾院で近視矯正手術を受けることになった。

エ 原告は、2月10日、被告クリニック広尾院を受診した。この時実施された視力検査によると、右眼は、S-10.25,C-1.00,A180のレンズ装用時の矯正視力が1.5(以下、「1.5×S-10.25、C-1.00、A180」というように表記する。)、左眼は,1.5×S-10.75、C-1.25、A180であった(以下,同日の視力検査の結果を「2月10日検査結果」という。

視力検査後、エキシマレーザー照射機(ⅤISX牡の「STAR S4 IR」。自動的に患者の角膜の形状を測定・解析してレーザーの照射を行うシステムを持つ。以下「本件レーザー照射機」という。)に、右眼はS-10.25、C-1.00、A180、左眼はS-10.75、C-1.25、A180と入力され、乙山医師がレーシック手術(本件手術)を施行した。

オ 本件手術後、原告に遠視が生じた。

2 争点及び争点に対する当事者の主張

(1)原告の視力が遠視化した原因

(原告の主張)
本件レーザー照射機は、自動的に患者の角膜の形状を測定・解析してレーザーの照射を行うシステムであったのであるから、本件手術の結果,原告の視力に術後遠視が生じた原因は、被告クリニック医師らが実際よりも高い近視度数を本件レーザー照射機に入力した結果,レーザー照射量が過剰となり,角膜が過剰に切除されたことにある。

また、原告の角膜が過度に乾燥していた可能性、本件レーザー照射機を始め、各種検査機器のメンテナンスが不良であった可能性、手術室が乾燥していた可能性があり、それが原因で角膜の切除量が過剰になった可能性がある。

(被告の主張)
原告に術後遠視が生じた原因は、何らかの理由で原告の角膜がレーザーに過度に反応した(レーザーに対する角膜の反応性には個体差がある。)結果、想定していた以上に角膜が切除されたことにある。

なお、仮に2月7日検査結果を採用した場合には切除する角膜厚は右が102μm、左が106μmであり、実際の切除量(右が113μm、左が117μm)との差異は左右ともに11μmにとどまるところ、角膜厚13μmで屈折率が1D変化することからすれば、2月7日検査結果に従って手術を実施していたとしても、原告の遠視は実際よりも1D弱程度弱まっていたにすぎない。

(2)被告の過失・注意義務違反

ア 原告の近視度数を過剰に測定した過失・注意義務違反

(原告の主張)
レーシック手術を施行する医師らには、個々の患者の特性(年齢、近視度数、乱視度数、調整麻痺下の屈折値など)や職業、手術を受ける動機などを考慮した上で、最も安全かつ適正なレーザー照射量を決定すべき注意義務がある。

2月7日検査結果によると、術前、原告の矯正視力は、右眼はS-9.00、C-1.0、左眼はS-9.50、C-1.25の眼鏡装用時で両眼とも1.2であったところ、被告クリニック医師らは、本件手術により達成すべき矯正視力の程度を1.5と想定し、原告の近視度数(S)を、2月10日検査結果に基づき、右眼の近視度数を-10.25、左眼の近視度数を-10.75と実際よりも高く診断して本件レーザー照射機に入力し、本件手術を施行した。

以上のとおり、被告クリニック医師らは、不正確な検査結果に基づき、原告の実際の近視度数よりも高い数値を入力して本件手術を施行したのであるから、注意義務違反がある。

(被告の主張)
2月7日検査結果は被告クリニック初診時のものであるところ、初診時の最大の関心事は近視矯正手術の適応の有無及び適切な手術方法の選択であり、これらを判断するためには正確な矯正視力検査を行う必要はないから、被告クリニックにおいては、初診時は,患者が実際に装用している眼鏡を装用した状態でよく見えるかを確認し,患者がよく見えると回答した場合は,当該眼鏡を装用した状態で視力を測定している。また、近視の患者は調節が強く働きすぎていることがあるため、初診時,散瞳薬を用いて調節力を奪った上でオートレフラクトメーターの屈折値の変化を確認する必要があり,散瞳薬を用いた後の数時間はピントが合わず,視力検査を実施することができないため、被告クリニックでは、正確な視力検査は初診時ではなく後日実施することにしている。

他方、2月10日検査結果は、視力矯正検査を15分以上かけて行った上で、最終的に原告に見え方を確認して導かれたものである。その際,右眼にS-10.50、左眼にS-11.00のレンズを装用すると,赤(R)よりも緑(G)の方がはっきりと見えるようになることを確認し,右眼はS-10.50、左眼はS-11.00が近視でも遠視でもない近視度数のデータであると判断された。

以上からすれば、2月10日検査結果が本件手術当時の原告の正確な視力を反映していたというべきであり、本件手術の際に上記検査結果に基づいて本件レーザー照射機に入力したのであるから、被告クリニック医師らに原告の近視度数を過剰に測定した過失・注意義務違反はない。

イ 術後遠視防止のための対策を怠った過失・注意義務違反

(原告の主張)
術後遠視は、積極的な治療は困難であることから,最も避けなければならない合併症の一つであるとされており、術後遠視の出現を極力抑えるために、球面矯正量を若干低矯正気味に設定する場合が多い。

よって、被告クリニック医師らには、本件手術において矯正の設定値を若干低めにするなど、術後遠視の発生を防止するための対策を行うべき注意義務があった。

しかるに、被告クリニック医師らはこれを怠り、漫然と2月10日検査結果のとおり本件レーザー照射機に入力した結果、角膜が過剰に切除されたのであるから、注意義務違反がある。

(被告の主張)
レーシック手術によって術後遠視が生じても、近年は再手術によって容易に修正できるのであるから,術後遠視が最も避けなければならない合併症であるということはできない。そして、術後遠視を避けるために低矯正にした場合、遠くが見えなくなるというデメリットがあること、原告は本件手術当時30歳であり,老視の開始に備えて意図的に弱い近視にする必要もないことからすれば、術後遠視が生じるのを避けるために低矯正にすべきであったとはいえない。

ウ 角膜の乾燥状態の適切な把握を怠った過失・注意義務違反

(原告の主張)
手術中に角膜が過度に乾燥気味になった場合、角膜の厚みが薄くなり、過矯正となることが知られていることからすれば、被告クリニック医師らには、本件手術の際に原告の角膜の乾燥状態を適切に把瞳すべき注意義務があった。

しかるに、被告クリニック医師らは、本件手術の際,原告の角膜の乾燥状態を把握するための特段の措置をとらなかったのであるから、過失・注意義務違反がある。

(被告の主張)
被告クリニックにおいては、レーシック手術の開始30分ないし1時間前に細隙灯顕微鏡を用いて前眼部を診察し、仮に角膜が過度に乾燥していれば角膜表層の剥離やびらんなどの所見が認められるところ、本件においてこのような所見は認められなかった。手術の開始5分前及び開始直後には麻酔薬が点眼され、また、レーシック手術は開瞼器をかけて施行されるため、患者は瞬きをすることができず,涙液がどんどん蒸発するため、補助者が患者の眼に頻繁に点眼液を与えつつ、レーザー照射が行われるのであり、本件においても同様であった。

よって、本件患者の角膜が乾燥していたとは考えられない。

エ 本件レーザー照射機の適切なメンテナンス又は手術室の乾燥状態の適切な把握を怠った過失・注意義務違反

(原告の主張)
近視矯正手術においてはレーザー照射機のメンテナンスが重要であるから、被告クリニック医師らには、本件手術の際、本件レーザー照射機のメンテナンスを適切に行うべき注意義務があったところ、本件手術の際、本件レーザー照射機のメンテナンスが適切にされていなかった可能性は否定できないのであるから、被告クリニック医師らには過失・注意義務違反がある。

また、湿度の変化によってエキシマレーザーの屈折誤差が生じるため、通常よりも乾燥していた場合、そのことが原因となって過矯正になることが知られているのであるから、被告クリニック医師らには、本件手術の際、手術室の湿度管理を適切に行うべき注意義務があったところ、被告クリニック医師らが意識的に湿度管理することを怠った結果,手術室が乾燥していた可能性は否定できないのであるから、過失・注意義務違反がある。

(被告の主張)
被告クリニックにおいては、レーザー照射機は気温や湿度等の影響で出力が常に変動することから,患者2名の手術が終わるごとにプラスチック製プレートを用いて照射機のエネルギーを確認し、設定を微調整しており、事件手術当日も同様であった。実際、同日に手術が行われた原告以外の31名(61眼)のいずれにおいても原告のような強度の遠視は生じなかった。

オ 説明義務違反

(原告の主張)
術後遠視は、積極的な治療が困難であることから、近視矯正手術の合併症のうち最も避けなければならないものの一つであり、術後遠視は、患者に近方視力の低下や眼精疲労、眼痛、夜間視力の低下などの視力障害を生じさせることになる。

よって,被告クリニック医師らには、原告が本件手術を受けるか否かを自己決定できるようにするため、本件手術に先立ち、近視矯正手術の合併症の一つに術後遠視があることや、術後遠視した場合の視力障害の内容と程度を適切に説明すべき注意義務があった。

しかるに、被告クリニックは、術後遠視が発生する可能性があることについて、本件パンフレット(甲A1)の「手術後の合併症」に明記せず,被告クリニック医師らも原告に対してその旨説明しなかった。

(被告の主張)
被告クリニック医師は、本件手術に先立ち、原告に対して術後遠視が生じる可能性があることについて説明していないが、その理由は、遠視を遠くがよく見える状態であると誤解する患者が多く、説明することによってかえって患者が混乱するからである。

被告クリニック医師は、本件手術に先立ち、本件パンフレットを用いて、近視矯正手術の原理を説明し、その際に術後に希望の視力にならない場合があること、その場合は視力安定後(術後半年以上経過後)に再手術が必要であることを説明し、原告はそれを理解した上で本件手術を受けることを決断したのであるから,説明義務は尽くされている。

(3)損害

(原告の主張)

ア 原告は、本件手術の結果、術後遠視が生じ、日常生活においては、眼鏡や使い捨て(1DAY)ソフトコンタクトレンズを装用して、右眼0.7、左眼0.7程度の矯正視力を得ているにすぎない。そして、原告は、本件手術以前、テレビカメラマンとして働いていたが、術後遠視が生じた結果、以前のようにカメラ撮影ができなくなり、5月末付けで解雇された。

イ 被告の過失・注意義務違反による原告の損害は以下のとおりであり、少なくとも1000万円を超えることは明らかである。

① 手術費用         24万7000円
② 通院交通費           10万円
③ 休業損害            75万円

原告はテレビカメマンとして稼動し、月額約25万円の収入を得ていたが、本件手術の結果生じた視力障害により、5月末に解雇されるまでの間、休職を余儀なくされた。

④ 後遺障害慰謝料       616万円

原告は本件手術後、眼鏡やソフトコンタクトレンズを装用して、約0.7程度の視力を保っているが、眼精疲労が生じるため長期間装用し続けることができない。よって、「両眼の視力が0.6以下になったもの」(後遺障害等級第9-1)を準用する由が妥当である。

⑤ 逸失利益        1754万6550円

原告は、本件手術当時、30歳であり、月収は約25万円であったから、逸失利益は次のとおり1754万6550円となる。(25万円×12か月)×0.35×16,711(ライプニッツ係数)

⑥ 弁護士費用          240万円

(被告の主張)

争う。

第3 当裁判所の判断

1 認定事実

(1)前記前提事実、証拠(甲A1ないし6、B1ないし3、乙A1ないし4、B1、証人丁田操、証人乙山純)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

ア 原告は、11歳ころから近視のため眼鏡を装用するようになり、19歳からはソフトコンタクトレンズを装用していた。

イ 原告は、株式会社ビデオプレスにおいてテレビカメラマンとして稼動していたが、被告クリニックの広告・宣伝によると被告クリニックでレーシック手術を受ければ強度の近視も矯正が可能であるとのことから、被告クリニックでレーシック手術を安けたいと考え、2月7日、被告クリニック三宮院を受診した。検査担当者が、原告に近視矯正手術の適応があるかを判定するための検査を行った。
自覚的屈折検査(裸眼視力や矯正視力を自覚的に検査し、近視・遠視・乱視の度数を測定する簡潔な視力検査)によると、両眼ともに、裸眼視力は0.01、原告本人が普段装用していた眼鏡(右眼はS-9.00、C-1.00、A179、左眼はS-9.50、C-1.25、A175)による矯正視力が1.2で、緑よりも赤の方がはっきり見え(なお、緑よりも赤の方がはっきり見えるのは、低矯正すなわち眼鏡の度が弱いことを意味する。)、多角的屈折検査(オートレフケラトメーターという器機を用いて他覚的に近視・遠視・乱視の度数を測定する。)によると、散瞳薬使用前は、右眼はS-10.50、C-1.00、左眼はS-11.25、C-1.25であり、散瞳薬使用後は,右眼はS-10.00.C-1.0D,左眼はS-11.00、C-1.25であり、眼圧は両眼ともに12mmHgであり、瞳孔径は両眼ともに7mmであり、角膜厚は、右眼は566μm、左眼は568μmであり、角膜径は両眼ともに12mmであり、ほかに角膜形状解析、角膜内皮細胞検査、眼底検査、細隙灯顕微鏡による前眼部(角膜、結膜、水晶体など)の検査が実施された。その後、被告クリニックのスタッフがレーシック手術について、本件パンフレット(甲、A1)を示し、手術の具体的な手順や合併症を含めて簡単な説明を行った。その際、手術の成功率は100%ではないので、希望する見え方にならない可能性があり、その場合は再手術が必要になることを説明した。

その後、丙川医師は、原告に対し、原告の視力は、左右両眼ともに、乱視は強くないものの、強い近視であり、PRK、レーシックいずれの近視矯正手術についても適応があると説明し、同日施行された眼底検査の結果、右眼に網膜円孔の疑いがあるので、近視矯正手術をするまでに眼科専門医による眼底検査を受けるように指示し、近視矯正手術の合併症については、本件パンフレット(甲A1)を一読するように指示し、手術の成功率は100%ではないので、希望する見え方にならない可能性があり、その場合は再手術が必要になることを説明したが、術後遠視が生じる可能性があることについては説明せず、近視矯正手術を行うとすれば、最新型のレーザー照射機がある被告クリニック広尾院で施行することになると説明した。

なお、本件パンフレットには、レーシック手術は、痛みが非帯に少ない、両眼同時に治療が可能、視力の回復が早い、矯正精度が非常に高い、視力の安定性が高いという利点があり、各種近視矯正手術の中でも、最も質の高い視力を得られる手術であり、多くの実例に裏付けられた現在最も信頼性の高い技術である旨記載されており、「予測される合併症」として、「ほやける:手術直後は全体的にぼやけてやや見えにくい状態になります。手術直後に近くも少し見えにくくなることがありますが、徐々に改善します。また、年齢が高く、近視、乱視の強い場合には、視力が安定するまでに1~2ヶ月を要することがあります。」、「ドライアイ」、「結膜下出血(白目の出血)」、「異物感・
しみる感じ・痛み」との記載があり、「まれに発症する合併症」として、「視機能の低下(見え方の質の低下)、夜間の見にくさ・にじみ:光が少々にじんで見えたり、まぶしかったり、明るい場所に比べて暗い場所(または夜間)では、視力の低下を感じることがあります。通常、これらの視機能の低下は、手術後半年の時点でほとんどの方が改善または消失しますが、まれに続くことがあります。」、「感染」、「フラップの位置ずれやしわ」、「上皮迷入」、「近視への戻り」、「上皮欠損」、「層間角膜炎」、「不完全フラップ」との記載があるが、遠視についての記載はない。また、「生涯保障プログラム」として、手術代には手術後の定期検診の費用と1年間の薬代が含まれており、合併症が発生した場合には追加費用なくして適切な治療を受けることができ、術後1年間は合併症以外の眼の病気についても被告クリニックで治療が可能な場合は無料で治療を受けることができ(手術後の定期健診)、予定した視力に回復しなかった場合や、まれに(2~3%)発生する近視の戻りが発生した場合で、追加矯正が可能である場合には無料で再手術を提供し(視力回復保障制度)、被告クリニックで実施した手術による合併症が原因となり矯正視力が確保できず角膜移植手術に至った症例はこれまでないが、万一角膜移植手術が必要になった場合には保険診療に要する費用のうち患者負担分を被告クリニックが全額保障する(角膜移植保障制度)旨記載されていた。

また、原告はレーシック同意書(乙A1・27枚目)を受領した。なお、レーシック同意書には、レーシック手術の効果は完全に予測され得るものではなく、特定の結果が得られる保証はなく、十分な視力を得るために術後もメガネ又はコンタクトレンズの装用が必要となる場合があること、レーシック手術は完全に安全というわけではなく本件パンフレットに記載されている合併症が生じることがあり、また、レーシック手術に起因する併発症状は全て把握されているわけではなく、本件パンフレットの合併症のリストは完全ではないこと、再治療が必要になることがあるが、必ずしも良い結果が得られるとは限らないこと等が記載されており、これらについて了解する旨の記載があった。

ウ 原告は、2月8日、居住地の近くの鳥取市立病院で眼底検査を受けたところ、右眼は網膜硝子体癒着であって網膜円孔ではないと診断され、同月10日に被告クリニック広尾院で近視矯正手術を受けることになった。

エ 原告は、2月10日、被告クリニック広尾院を受診し,署名押印した上で上記同意書を提出した。
被告クリニックのレーザー技師が、エキシマレーザーの照射量を正確に決定するため、同月7日に検査した時よりも時間をかけて、視力検査を実施したところ、右眼は、S-10.50で赤よりも緑の方がはっきりと見えるようになったことが確認され、1.5×S-10.25、C-1.00、A180、K(keratometer。角膜の曲率半径を表す。)l=40.00、K2=41.00、K2のA=91であり、左眼は、S-11.00で赤よりも緑の方が見やすくなったことが確認され、1.5×S-10.75、C-1.25、A180、K1=39.75、K2=41.25、K2のA=93であった。

そこで、被告クリニックのレーザー技師は、被告クリニック医師の指示を受け、原告のデータとして、本件レーザー照射機に、右眼は、K1.=40.00、K2=41.00、K2のA=91、S-10.25、C-C-1.00、A180、12.00mm、左眼は、K1.=39.75、K2=41.25、K2のA=93、S-10.75、C-1.25、A180、12.00mmと入力したところ、本件レーザー照射機は、原告の切除深度(Tota1 Ab1ationDepth)を、右眼113μm、左眼117μmと算出した。

被告クリニック医師は、細隙灯顕微鏡で原告の両眼の前眼部の状態を検査し、異常がないことを確認した。その後、原告が午後7時ころ手術室に入室し、乙山医師は、目薬を点眼した後、マイクロケラトームで角膜を切開してフラップを作成し、本件レーザー照射機でレーザーを照射し(照射時刻は、右眼が午後7時5分18秒から6分21秒まで、左眼が午後7時10分2秒から11分7秒までであった。)、フラップを閉じて洗浄した。本件手術終了後、被告クリニック医師が原告の両眼を確認したところ、異常はなかった。

被告クリニックでは、レーシック手術においてレーザー照射機の出力のばらつきを整備するために、手術の開始前には、出力が一定になっていることの確認が実施され(キャリブレーションテスト)、手術中には、手術2例ごとに1回、プラスチック製プレートを用いて照射機のエネルギーを確認した上で設定を微調整しており(フルーエンステスト)、本件手術当日も実施されていた。乙山医師は、同日、原告を含めて31名の患者の合計61眼に対してレーシック手術を実施したが、原告以外に術後遠視を訴えた患者はいなかった。

オ 原告は、2月11日被告クリニックを受診し、物が二重に見え、引っかかる感じがあると訴え、視力検査の結果、裸眼視力は右眼が0.6p(「p」は「弱」の意味)、左眼が1.0であった。

原告は、同月13日、被告クリニック広尾院に電話をかけ、近くも遠くも見えないと訴えた。

原告は、同月14日、被告クリニック三宮院を受診し、全く見えなくて仕事ができない、非骨に見づらく、だぶりがあり、右眼よりも左眼が見にくいと訴えた。前眼部を検査したところ、クリアーであったが、表層角膜炎であった。視力検査の結果、右眼は、裸眼視力が0.1、矯正視力が0.3×S+4.75、C-0.50、A30、左眼は、裸眼視力が0.03、矯正視力が1.2p×S+4.00、C-1.25、A80であった。丙川医師は、本件手術後の一過性視力低下のため同日から2週間就業不能であり,回復の度合いによって就業不能期間を延長する可能性があると診断した。

原告は、同月17日、被告クリニック三宮院を受診し、見づらく、眼鏡が合わないと訴えた。前眼部を検査したところ、表層角膜炎は消失していた。視力検査の結果、右眼は、裸眼視力が0.1p、矯正視力が0.2×S+4.25、左眼は、裸眼視力が0.02、矯正視力が1.5×S+4.75、C-1.50、A90であった。

原告は、3月4日、被告クリニック三宮院を受診し、眼鏡での生活は困難であると訴え、コンタクトレンズの作成を希望したが、ソフトコンタクトレンズでは視力が出なかった。前眼部を検査したところ、クリアーであった。視力検査の結果、右眼は、裸眼視力が0.1、矯正視力が1.2p×S+4.00、C+0.50、A120、左眼は、裸眼視力が0.1、矯正視力が1.5p×S+4.50、C-1.50、A75であった。丙川医師は、本件手術後の一過性視力低下のため同日から週間(数字が記載されていない)就業不能であり、ソフトコンタクトレンズ、眼鏡の装用によって矯正可能であるが静養加療を要すると診断した。

原告は、3月9日、医療法人社団南青山アイクリニックを受診し、病名は遠視性乱視で、本件手術後に過矯正のため裸眼視力が不良であり、右眼は、裸眼視力が0.1、矯正視力が1.2×S+6.5、C-1.0、A100、左眼は、裸眼視力が0.1、矯正視力が1.2×S+4.0、.C-1.5、A80であると診断された。

原告は、同月10日、被告クリニック広尾院を受診し,視力検査の結果、右眼は、裸眼視力が0.15、矯正視力が1.2×S+4.00、左眼は,裸眼視力が0.09、矯正視力が1.0×S+3.75、C-1.50、A90であった。乙山医師は、原告に対し、本件手術はターゲットどおり施行したが、術後遠視が生じたと説明し、本件手術後の視力が不安定であるため3か月間定期的な通院加療が必要であると診断した。

原告は、同月24日、被告クリニック三宮院を受診し、視力検査の碍果、コンタクトレンズによる矯正視力は右眼が0.6×S十4.00、左眼が0.6×S+3.50で、コンタクトレンズの度数をあげても矯正視力は上がらず、眼鏡による矯正視力は、右眼が0.5×S+3.00、左眼が0.4×S+3.50であったため、コンタクトレンズの度数は上げず、眼鏡のレンズを右眼は1.2×S+4.25、左1.2×S+3.50、C-1.25、A90に交換した。その後、原告は再来院してレンズを交換した眼鏡が見にくいと訴えたため、コンタクトレンズの上から装用するもう一つの眼鏡のレンズを両眼ともにS+3.00に交換した。

原告は、4月18日、被告クリニック三宮院を受診し、再手術のための検査が行われ、視力検査の結果、右眼は、裸眼視力が0.4、矯正視力が1.5×S+5.0、C-0.5、A90、左眼は、裸眼視力が0.2、矯正視力が1.2×S+4.5、C-1.0、A90であった。被告クリニックのスタッフは、原告に対し、再手術を2回に分けて実施することを勧めたところ,原告は再手術が不安であると述べた。

原告は、術後遠視のために、本件手術前に担当していたテレビカメラの撮影が十分にできなくなったことから、5月末をもって株式会社ビデオプレスを退職した。

原告は、6月6日、被告クリニック三宮院を受診し、視力検査の結果、右眼は、裸眼視力が0.4、矯正視力が0.7p×S+3.00、左眼は、裸眼視力が0.4、矯正視力が0.7p×S+2.00、C-1.25、A90であった。

原告は,平成20年7月25日、医療法入社団南青山アイクリニックを受診し、病名は遠視性乱視で、本件手術後に過矯正のため、右眼は、裸眼視力が0.6p、矯正視力が1.5×S+5.00、C-0.75、A95、右眼は、裸眼視力が0.6p、矯正視力が1.5p×S+6.0、C-2.0、A100であると診断された。

(2)医学的知見
証拠(甲A1、B1ないし3、乙B1,2)によれば、以下の医学的知見が認められる。

ア レーシック手術
レーシック手術とは、近視や乱視の度数に応じてエキシマレーザー(生体組織に熱変性(やけど)をほとんど起こすことなく正確な切開や切除ができる特殊な高エネルギーのレーザー)を角膜実質に照射し、角膜のカーブを変化させ、眼の屈折力を正常に戻すことによって近視や乱視を治す矯正方法をいう。

点眼麻酔後、マイクロケラトームを用いて角膜の表面を削ってフラップを作り、フラップをめくり,コンピューターに入力しておいたデータに基づいてエキシマレーザーを照射して角膜の中央部を削って角膜のカーブを変化させ、マーキングされた位置にフラップを戻してフラップを自然に接着させる。

レーザー照射量(矯正量)は、年齢(若年者では低矯正に、高齢者では過矯正になりやすい。)、近視度数(低い場合は低矯正に高い場合は過矯正になりやすい。)、乱視度数、調整麻痺下での屈折値、手術を受ける動機、VDT作業の有無、レーザー照射径を考慮して決定する。

イ 術後遠視
(ア)術後遠視とは,エキシマレーザーによる近視矯正手術の結果、遠視(光が網膜よりも後方で焦点が合っている状態)が生じることをいう。

術後遠視は、エキシマレーザーによる近視矯正手術による合併症の中で、最も避けなければならないものの一つであり、医学的には若干低矯正になるよりも好ましくないとされており、日本眼科学会のガイドラインにも、術後の屈折度は将来を含めて遠視とならないことを目標とする旨明記されている。

調整力を有する若年者であれば、+1D以下の術後遠視では症状の訴えはほとんど聞かれず、むしろ調節により良好な遠見視力を自覚することが多い。しかしながら、+1D以上の遠視になると、眼精疲労、眼痛、頭痛、近見障害のほか、夜間視力の低下や、遠視時にも焦点が合うのに時間がかかるなどの訴えがあり、+2D以上では症状は更に顕著になる。また、調節力が低下した中高年者では,これらの症状は若年者より強い訴えとなることが多い。

(イ)術後遠視の原因としては、患者の要因による過療正、角膜実質の創傷治癒過程における屈折の遠視化、偏心照射、術中の角膜の過度の乾燥(角膜ベッドが乾いた状態でレーザー照射を行うと、エキシマレーザーのエネルギーが水分に吸収されず、過矯正となる可能性が高い。) データ(球面度数(S)、円柱度数(C))の入力ミス、手術装置のメンテナンス不足等が考えられる。過矯正は、矯正量が多いほど、矯正精度が低下するため生じやすく、また、高齢者では過矯正となる可能性が高い。

(ウ)術後遠視を予防するためには、データの入力や偏心照射等の人為的ミスの防止を心がけ、術中の角膜の乾燥を最小限にするために特に角膜上皮の除去後は速やかにレーザーを照射して手際よく手術を進行させる。また、矯正量が多いほど矯正精度が低下して術後遠視が生じやすく、近視度数(S)-6D以上の矯正では術後遠視が生じる頻度が高くなるとの報告があるため、近視度数-6D以上の矯正を行う場合には、術後遠視が生じる可能性があることを患者に術前に十分説明しておくべきであると指摘されている(甲B2の80頁)

また、過矯正を避けるため、近視度数の強弱や年齢に応じて所望矯正量を加減する。

各施設で使用されているエキシマレーザーの矯正精度の限界を認識し、限界を超えた度数の屈折矯正は行わないようにする。

(エ)術後遠視が生じても、多くの場合、遠視は自然に減少するため(regression)、原則、経過を観察するのが望ましい。術後6か月以上経過した時点で裸眼視力に影響する遠視化は追加矯正手術の対象となってくる。

また、術後、遠視が進行する場合(progression)は、再び遠視が減少する見込みが少なく厄介である。ステロイドの点眼を試み、それでも遠視の減少がみられない場合は、遠視矯正モードでエキシマレーザーの再照射を試みてもよいが、エキシマレーザー照射による遠視矯正手術は、いまだに一般化されておらず、近視矯正手術以上の配慮が必要であると考えられており、矯正量が大きくなると予測性が低下するという報告がある。エキシマレーザー照射によるレーシック手術の適応は、軽度から中等度の遠視であり,レーザー照射磯の機種によって若干の違いがあるが通常遠視度数が+4Dまでが良い適応で、+6Dまでが限界とされ,それ以上の遠視に関してはその他の術式の適応となる。

2 争点に対する判断

(1)原告の視力が遠視化した原因

術後遠視の原因としては、患者側の要因による過矯正、角膜実質の創傷治癒過程における屈折の遠視化、偏心照射、術中の角膜の過度の乾燥、データの入力ミス、手術装置のメンテナンス不足等が考えられるところ、後に認定するとおり、術中の角膜の過度の乾燥、手術装置のメンテナンス不足があったと認めることはできず、2月10日検査結果は当時の原告の視力を正確に反映したものであり、そのとおり本件レーザー照射機にデータが入力されたことが認められるから、データの入力ミスも認められない。また、偏心照射がされたことをうかがわせる証拠はない。

角膜実質の創傷治癒過程における屈折の遠視化の有無については不明であるが、本件手術後早期に軽微ではない術後遠視が生じていることからすれば、原告の術後遠視の原因は、事前に予測できない原告自身の何らかの要因によって本件手術の際に過矯正が生じたことであると認めることができる。

(2)原告の近視度数を過剰に測定した過失・注意義務違反

ア 原告の視力の測定は、本件手術より前の時点で、2月7日と同月10日に実施されており、本件手術において、本件レーザー照射器には2月10日検査結果に基づいて原告のデータが入力され、本件手術が施行された。

イ そこで、2月7日検査結果及び2月10日検査結果の正確性について検討する。

2月7日検査結果は、原告が近視矯正手術を受ける目的で被告クリニックを初めて受診した日に実施されたものであるところ、本件パンフレットによれば、最初に実施される視力検査は、エキシマレーザーによる近視矯正手術の適応検査の一環として実施きれるものであるから、正確な視力を測定する必要はなく、実際に、上記視力検査は原告が当時普段装用していた眼鏡を装用して測定され、検査結果は、緑よりも赤の方がはっきりと見える、すなわち低矯正の状態であり、赤よりも緑の方がはっきりと見えることになる近視度数は測定されていないことからすれば原告の正確な視力を反映していないと認めることができる。

これに対し,2月10日検査結果は、本件手術当日に実施されているところ、本件パンフレットによれば、適応検査の一環としての視力検査の後、手術前1週間以内に実施される視力検査は、エキシマレーザーの照射量を正確に測定するためにより慎重に行う視力検査である。そして、上記検査は、2月7日検査よりも時間をかけて実施され、右眼はS-10.50、左眼はS-11.00において赤よりも緑の方がはっきりと見えるようになったことが確認された上で、右眼は1.5×S-10.25、C-1.0、A180、左眼は1.5×S-10.75、C-1.25であるとされていることからすれば、2月10日検査結果は当時における原告の視力を正確に反映したものであると認めることができる。

以上のとおり,2月10日検査結果は当時の原告の視力を正確に反映したものであり、被告クリニック医師らはこれに基づいて原告のデータを入力して本件手術を施行したのであるから被告クリニック医師らには不正確な検査結果に基づいて実際の近視度数よりも高い数値を入力して本件手術を施行した過失・注意義務違反があったということはできない。

(3)術後遠視防止のための対策を怠った過失・注意義務違反

術後遠視は最も避けなければならない合併症とされ、日本眼科学会のガイドラインにも将来を含めて遠視とならないことを目標とする旨明記されており、過矯正を避けるため、近視度数の強弱や年齢に応じて所望矯正量を加減するとされている。また、近視が強度の場合は矯正量が多くなり、矯正精度が低下して過矯正が生じやすいとされ、近視度数(S)-6D以上の矯正では術後乱視が生じる頻度が高くなるとの報告があるところ、本件手術当時の原告の近視度数は右眼が-10.25、左眼が-10.75であった。

しかしながら、他方で、原告は本件手術当時30歳であったところ、若年者の場合は低矯正になりやすく、また、多少の遠視化は調節可能で大きな問題とならない場合が多いとされていることからすれば、原告において、本件手術に先だって過矯正が生じる可能性が高いことを予見することはできなかったというべきであること、被告クリニック医師らは、2月10日検査結果を測定する際、右眼はS-10.50、左眼はS-11.00において赤よりも緑の方がはっきりと見えるようになったことを確認した上で、右眼はS-
10.25,左眼はS-10.75と若干低矯正の数値を採用し、そのとおり本件レーザー照射機に入力して本件手術を施行していることからすれば、被告クリニック医師らが矯正量を右眼はS-10.25、左眼はS-10.75と設定したことが不適切であったということはできない。

(4)角膜の乾燥状態の適切な把握を怠った過失・注意義務違反

本件手術に先立ち、前眼部の検査がされて異常がないことが確認されていること、乙山医師は、角膜を切開してフラップを作成する前に目薬を点眼していることからすれば、フラップの作成の時点で原告の角膜が本件手術に影響を与える程度に乾燥していたと認めることはできない。そして、レーザーの照射時刻は、右眼が午後7時5分18砂から6分21秒まで、左眼が午後7時10分2砂から11分7秒までであり、速やかに行われたということができるから、レーザー照射中に原告の角膜が本件手術に影響を与える程度に乾燥したと認めることはできない。以上からすれば、被告クリニック医師らに原告の角膜
の乾燥状態を把握するための措置をとらなかった過失・注意義務違反があったということはできない。

(5)本件レーザー照射機の適切なメンテナンス又は手術室の乾燥状態の適切な把撞を怠った過失・注意義務違反

前述のとおり、被告クリニックにおいては、患者2名の手術が終わるごとにプラスチック製プレートを用いて照射機のエネルギーを確認した上で設定を微調整しており、本件手術当日もこれがされていたこと、乙山医師は、本件手術当日、被告クリニック広尾院において、原告を含めて31名の患者の合計61眼に対してレーシック手術を実施したが、原告以外に術後遠視を訴えた患者はいなかったことからすれば、本件手術の際に本件レーザー照射機のメンテナンスが適切にされていなかったと認めることはできず、また、本件手術の際に手術室が本件手術に影響を与える程度に乾燥していたと認めること
もできず、これらの点についても、被告クリニック医師らに過失・注意義務違反があったということはできない。

(6)説明義務違反

ア 術後遠視はエキシマレーザよる近視矯正手術による合併症の中で最も避けなければならないものの一つとされており、日本眼科学会ガイドラインにも将来を含めて遠視とならないことを目標とする旨明記されていること、近視が強度の場合は矯正量が多くなり、矯正精度が低下して過矯正が生じやすいとされ、近視度数(S)-6D以上の矯正では術後遠視が生じる頻度が高くなるとの報告があるところ、本件手術当時の原告の近視度数は右眼が-10.25、左眼が-10.75であったこと、近視度数(S)-6D以上の矯正を行う場合には術後遠視が生じる可能性があることを患者に十分に説明する必要があることが文献上指摘されていることなどからすれば、被告クリニック医師らには、本件手術に先立ち、原告に対して本件手術の合併症として術後遠視が生じる可能性があることを説明すべき注意義務があったというべきである。

しかるに、被告クリニック医師らは原告に対し本件手術に先立ち、上記説明をしなかったのであるから説明義務違反がある。

イ この点、被告は本件手術に先立ち、被告クリニック医師らが近視矯正手術の原理を説明した上で術後に希望の視力にならない場合があること、及びその場合は再手術が必要であることを説明したとのことから、説明義務違反はない旨主張しており、前記認定事実のとおり、被告クリニック医師らが上記内容の説明をしたことを認めることができる。

しかし原告が本件手術の合併症について説明を受けるにあたって交付された本件パンフレットには、レーシック手術の合併症として、近視への戻りを含め様々なものが挙げられているほか、視力回復保証制度として、予定した視力に回復しなかった場合や、まれに(2~3%)発生する近視の戻りが発生した場合で、追加矯正が可能である場合には無料で再手術を提供する旨記載されていたことからすればレーシック手術を受けようとする一般人が、術後に希望の視力にならないことがあり、その場合は再手術が必要であると説明された場合、再手術は予定した視力が得られなかった場合や、手術後に視力が近視側に戻った場合に再度近視矯正手術を施行することを指すと考えると解されるところ、近視の戻りの症状は、近くが良く見えるが遠くぼやけるというものであり、他方、遠視化の症状は、遠くが良く見えるが近くがぼやけるというものであり、両者は全く逆の症状であることからすれば、上記説明によって術後遠視が生じる可能性があることを認識するのは困難であるというべきである。

以上からすれば,被告クリニック医師らが上記内容の説明をしたことをもって、本性手術の合併症として術後遠視が生じる可能性があることについて説明をしたということはできず、被告の上記主張は採用できない。

(7)損害

以上からすれば原告が主張する過失のうち、本件手術の合併症として術後遠視が生じる可能性があることについての説明が不十分であった過失・注意義務違反のみが認められ、原告には、本件手術の結果、術後遠視が生じ、裸眼視力が低く、眼鏡又はコンタクトレンズの装用が必要である等の後遺症が発生している。

原告は,上記過失・注意義務違反によって後遺症等が発生し、これに基づく損害として、過失利益等を主張しているので、損害額について判断するための前提として、上記過失・注意義務違反と上記損害の発生との間の因果関係の有無、すなわち、本件手術の合併症として術後遠視が生じる可能性があることについて適切な説明がされた場合に、原告が本件手術を受けないとの選択をし、原告に後遺症が発生しなかった高度の蓋然性の有無について判断する。

原告は,鳥取市に居住していたところ、被告クリニックの広告・宣伝を見て被告クリニックでレーシック手術を受けて強度の近視の矯正をしたいと考え、2月7日に被告クリニック三宮院を受診し,網膜円孔の可能性を指摘されると、翌8日に鳥取市立病院を受診して眼底検査を受け、網膜円孔でないと診断されると、同月10日に被告クリニック広尾院で本件手術を受けており、原告は本件手術を受けることについて強い意向を有していたと認めることができる。また、原告は、本件手術の予測される合併症として、本件パンフレットの交付を受けて術後遠視以外の様々な合併症について説明を受けながらも、10日に本件手術の同意書を提出していること、術後遠視は最も避けなければならない合併症の一つであるものの、若年者の場合、過矯正は高齢者と比較して生じにくく、多少の遠視化は調節可能で大きな問題とならない場合が多いこと、術後遠視が生じても再手術によって回復・改善する可能性があることからすれば、仮に原告が本件手術の合併症として術後遠視が生じる可能性がある旨説明を受けていたとしても、原告は本件手術を受けることに同意したと推認することができる。したがって、被告クリニック医師らが説明義務を果たしたとしても、原告がなお本件手術を受けることに同意したものである
以上、被告クリニック医師らの上記説明義務違反と原告が主張する上記損害の発生との間に因果関係があるとは認められない。

他方、被告クリニック医師らによる説明義務違反によって、原告としては、適切に情報を提供され、これに基づいて本件手術を受けるか否かを真摯に選択判断する権利(いわゆる自己決定権)を侵害されたといえるから、上記説明義務違反と自己決定権侵害との間には因果関係があるものと認められ、上記侵害に対する慰謝料を認めることができる。

そして、その慰謝料額は、被告クリニック医師らの注意義務違反の内容、上記注意義務違反が原告の自己決定権の行使に与えた影響の大きさ、原告の術後遠視の程度(検査ごとに幅があって必ずしも明らかでないが、軽微なものとはいえない。)、遠視矯正手術によって回復・改善する可能性があることなど、本件に現れた一切の事情を考慮すると、50万円をもって相当と認める。

原告の支出した弁護士費用相当額としては、5万円を相当因果関係のある損害と認める。

第4         結論

以上のとおり、原告の請求は、不法行為による損害賭償として、55万円及びこれに対する不法行為後である平成19年2月11日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があり、その余は理由がない。よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官・大島眞一、裁判官・西岡繁靖、裁判官・奥山雅哉)

投稿日:2020年8月30日 更新日:

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「レーシック手術の落とし穴 “2.0なのに
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ちなみにメンバー9人が手術を受けたクリニックは品川近視クリニック5名、神戸クリニック1名、錦糸眼科1名、他眼科2名です。

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