近視手術にとって常に重要なのに、なされていないこととは
日本眼鏡教育研究所 岡本隆博
以下の1)から6)は、近視手術の現状に対するS医師(K大学付属病院の眼科に所属)の見解です。
1) 近視手術を受けた施設で見放されて、あちこちの眼科を渡り歩く「レーシック難民」が少なからずいます。
そういう人が 「LASIKを受けてから頭痛と吐き気がする、助けてください」 「LASIKを受けてから昼間に外に出れないくらいまぶしい、助けてください」 「セカンドオピニオンを求めに来ました」 とか言って、どこかの眼科へ行っても、ほとんどの場合、事態はあまり改善しません。
2) 自分がいた眼科では、LASIKを受けてからの見え具合で悩む人には、死んでしまいたいほどにつらいと言ってくる人もいて、米国やカナダでは、LASIK後の見え具合の不調により、自殺する人がいるそうです。
おそらく、そういったLASIK難民は、もう、為す術がないと知ることで途方に暮れることも多く、精神的な病気になったということも十分に考えられます。
3) 私が、これまで眼科で見てきたLASIK難民には、何が何でもぜひ近視手術を受けたいと思っていた人よりも、自分の中での消去法によってLASIKに行き着いている人が多いようです。
自分にはコンタクトが合わない(と思っている)、自分のメガネは見苦しい(が、仕方がない)、コンタクトやメガネが鬱陶しい(術後の鬱陶しさについてはこれほどだとは知らなかった) etc.
それだからこそ、何か後遺症が起きたときに、非常に困っていたというわけでもないのにレーシックを受けてしまった自分……ということで、余計に後悔していたわけです。
4) 眼科医は、単純な屈折異常の人のメガネを、装用感が良いように細かく検討してあげる、つまり、言いかえれば実用のための屈折検査をする、という機会は少ないのが普通です。 そんな時間的余裕もない、というのが正直のところです。
「(日常生活で一応は不自由なく)見える人」を「より見えるようにする」ということは、眼科医の仕事なのかな、という疑問を私は持っています。
なので、そもそも、仕事としてLASIKを選ぶ眼科医師の、医療人としてのモチベーション、駆動力がどこにあるのかが、どこから湧き出て来るのかも、私にはわかりません。 お金以外に何があるのでしょうか。
まともな眼科医にとって、最もやりがいがあると思えるのは、「見えない」状態が自分の治療によって、「見えるようになった」という現場に立ち会えるときだと思うのですが。
5) 少なくとも、LASIKをやろうとする医師、あるいはやっている医師は、我々、大学病院の特定の専門疾患を担当する医師と違って、屈折(近視や遠視など)に弱いということは許されないと思います。
これは、開業医で眼鏡処方箋を切るならば、その眼科医師も同じです。
眼鏡ならば何度も作り直せるので、まだよいですが、眼科医におけるLASIKの無責任さの根底にあるものは、岡本さんの著書『眼科処方箋百年の呪縛を解く』で述べられていた眼鏡処方箋への無責任さとどこか共通するものがあるように思えて、仕方がありません。
6) 一般の人は、医師といえば、人格的にも立派な人が多いように思っておられるかもしれませんが、実際にはそうではない人間もいます。
眼科医の中にも、営利に固執する人間が少なからず居ます。
以下の7)~19)は、近視手術に関する私(岡本)の意見です。
7) 眼科でも何科でも、医師で屈折矯正に強い人は少ないです。
なのに屈折矯正手術を行なう……これがそもそもおかしい。
手術の結果、遠視で眼精疲労を訴えられても、どの程度の遠視なのかを器械測定に頼ることなく、自覚的屈折検査で、しかも遠視には特に有効な両眼開放屈折検査で正確に遠視の度数を測定できる医師が、いま日本にどれだけいるのでしょうか。おそらく10本の指に満たないのではないでしょうか。
なお、オートレフなどの自動器械による測定では、単眼で測るので調節が入りやすく、遠視でも、そうだとわからない場合も往々にしてあります。
そんな場合に、視力が1.0出たんだからいいんじゃないの?……程度の対応しかしない(できない)医師……儲けのためには、医師としてのプライドも責任感も関係なし……という医師がいるとしたら、その有様には、世も末だな、と感じざるを得ません。
8) ハードコンタクトを完全にやめてしまうと、その後1年以上に渡って近視が進む例があります。 その実際のデータも私は持っています。
多くの近視手術施設では、レーシック再手術の費用は最初の手術費用に含まれていますが、患者がレーシック再手術を望んでも、角膜に一定の厚みがなければ再手術は不可能ですし、最初のレーシック手術より、再手術の方が若干ですが、フラップの感染症の確率が高くなるなどのリスクがあるそうです。
さらに、再手術は何回もできるものではありません。
前回作成したフラップを器具で持ち上げることができるのは、通常、6ヶ月以内だとのことです。
ですので、可能な限り(できれば1年以上)、屈折の状態が落ち着くのを待つように勧め、状態が安定した状態で手術を受けさせるべきだと思うのですが、なぜそれをせずに「3週間」などと画一的に決めて、手術を急いでしまっているのでしょうか?
9) 私の所へ眼精疲労で悩む人から、パソコン作業で眼精疲労が強いのでレーシックを受けようと思うけれど、手術後にもまだ眼精疲労が改善しなかったらメガネで何とかなりますか、という問い合わせが来ました。
私は、その人に「レーシックを受けてもその眼精疲労が治ることは考えにくいから、まず眼精疲労の原因を調べてみることが先です」と返答をしたのですが、レーシックによってドライアイだとか花粉症だとか眼精疲労などが改善する可能性は低いです。
むしろ逆にドライアイがひどくなったということも聞きます。
「裸眼で遠くがぼやけて見える」という不便さはレーシックによって改善または解決する可能性は高いのですが、それ以外のことについては、期待はしないほうが良いのではないでしょうか。
そして、メガネなしでの読書やパソコン作業が、以前よりもしんどくなる可能性は高いと言ってよいでしょう。 手術のあと、読書用だとして既製老眼鏡を渡しているレーシック施設もあるのですから。
10) およそ手術というものには、どんな手術にでも多かれ少なかれリスクがあります。100%安全で安心な手術なんてありません。近視手術においても、その後遺症で悩まされて、手術後毎日目薬が欠かせなくなっている人も多いと聞きます。 眼科医はそれをよくわかっているので、自分は近視であってもメガネかコンタクトですませて近視手術を受けない人が少なくないわけです。 それでいながら、他人には近視手術をしている眼科医もいます。
11) いま行われている『近視手術の一番の問題点』は、術後の追跡調査とその広報があまりにも少ないということです。 近視手術を受けようかどうかを迷っている人が一番知りたいのは、下記のことではないでしょうか。
【質問】以前に近視手術を受けたあなたはいま、どのような気持ちですか?
(1)非常に後悔している。 ( )%
(2)やや後悔している。 ( )%
(3)まったく後悔していない。 ( )%
術後半年後、1年後、3年後、5年後、10年後にこのアンケート調査をするわけです。
この回答の比率が問題なわけで、もし、「非常に後悔」と「やや後悔」を合わせて1割を越えたら、あるいは、「非常に後悔」が1%を越えたら、近視手術を受ける人はほとんどいなくなるのではないかと私は思います。
12) 私の想像としては、近視手術を手がけている医師たちにとって、そのようなデータを正確にとり、それを隠さずにそのまま公表することは、近視手術を受けたいと思う人たちが減ることにつながっても、増えることにはつながる可能性が少ないので、このまま近視手術を推進していきたい医師たちは、そういう「多人数の正確なデータ」「手術を考えている人にとって一番知りたいデータ」を取ろうとはしないのではないかと思います。
そして、もしかして近視手術は、手術のあとで後遺症で苦しんで後悔している人の本当
の率が部外者にはわからないからこそ成り立っているビジネス……なのかもしれない、
と私は考えています。
13) 近視手術を手がけている医師たち自身に対して、詳しい本格的な追跡調査を期待することはまず無理なので、第三者がそれをやればよいと思うのですが、それには新しい法律あるいは強い行政権力による強制力が必要となります。しかし、いまのところそういう動きは見られません。国会でその種の質問が厚生労働大臣に対してなされたこともないようです。 その理由は皆様のご想像にお任せします。
14) 近視手術を受けてからあとで思わしくない諸症状が出た場合に、その手術をした施設に通っても抗議しても、予後のアフターケアーが良くないと言う話をよく聞くのですが、その理由として以下のようなことを私は推察します。
・ 儲ける目的で近視手術を手がける医師にとっては、手術希望者を誘引して説得して手術料を受け取って手術をするところまでが重要なプロセスであり、それ以後 は「まあ適当に」などという心理があるのではないか。
・ 医師にはそもそも加療責任はあるが、治癒させる責任はない。
いくら治療をしても快方に向かわない疾患はいくらでもあるのだから、医師はそのような事態に慣れており、治療を加えても改善しないということに、それほど悩むこともない一面を持つ職種だとも言える。(もちろん個人差はあろうが)
15) 「LASIKは眼科医の専門施設で安全に」と、レーシックを手がける国公立機関にいる医師や、医師の団体は言います。 眼科医会の公式サイトにもそのように書いてあります。
しかし、自分たちの施術がLASIK専門の施設と比べて、どれぐらい安全なのかという統計などを一切、具体的に明示してはいません。
国公立機関でLASIKをやっているところは、税金を使って機器費用・人件費をまかなってそれを行なっているからには、患者に施術するということは、そのことによって、治験、あるいは、研究をしているという役割も持っているはずなのです。
こういう統計処理をきちんとし、残していき、10年、あるいはもっと長期にわたるデータを見ようという意識がなければ、近視手術が眼科手術のスタンダードだと認められることは、将来もないと私は思います。
それと、少なくとも、善意がある医師ならば、作用・副作用の詳しい生データを掲げる
はずです。それをやっていないHPの持ち主は、少なくとも善意のない医師だと私は思うのです。
16) これも私の想像ですが、近視手術を手がけてみて、思ってもみなかった後遺症が多く、しかも、治療してもなかなか改善しないと言う実状を知って、自分はもう近視手術をやめたい、と思っても、多額の借金をして設備投資をしているので、それの元を取るまではやめられない、ということで悩んでいる医師も多いのではないかと思います。
17) 例えば、眼科医師の場合、近視手術は本来は、個々の患者の屈折状態を詳細に検討するところから始まり、患者それぞれの目的に合った術式の検討に基づいた施術、そして術後の状況に応じた細やかなケアーが必要な、決して単純作業ではないはずなのですが、それをあたかも、単純作業のようにルーチンワーク化しているところがあると思います。
屈折状態の測定は、オートレフ+片眼遮蔽(単眼)で済まし、施術も、機械に数値を入れてスイッチON、術後のケアも、症状に応じてお決まりの薬剤を出して済ます……etc.
そして、こういう単純作業化された近視手術に「魅力」あるいはその作業をすることでの「居心地のよさ」みたいなものを感じてしまっている部分も、無きにしもあらずだと、私は想像します。
ほとんどの職業人は、ある程度のレベルに来たら、自分の仕事を、慣れで、惰性で、繰り返しの仕事をします。常にその都度新しい道を切り開いてよりレベルの高い仕事を目指す人間というのは、ごくごくわずかなのです。
近視手術において創造的な仕事を!とまでは言いませんが、一つ一つの作業内容について、自分の頭で考えながら仕事をするようにしていただきたいと私は思います。
そして、想像力を持て、と……。 最低限、「自分の施術で、この患者さんはどうなる
可能性があるだろうか……」と。
18) 近視手術を受けようかどうかと考えている人の中には、「医師の中には立派な人格を持っている人も少なくないのだから、近視手術に危ない点が多いのなら、近視手術を自分はしていなくともその実態について身をもって知っている眼科などの医師が、世間に対して大きな声で警告をしてくれるはずであり、それが聞こえてこないということは、近視手術の危険性はたいしたことはないのだろう」と思って手術に踏み切る人も多いと思います。
しかし、いろいろな事情で、その危なさや術後の実態についての現実を言いたくても
言えない医師がほとんどなのです。その理由については、皆様のご想像にお任せします。