『期待は大きかったが・・・』

視力回復手術体験記

 『期待は大きかったが・・・』

                  東京都 視力相談室アイランド 島根 一史

 両眼に手術を受けたM.Sさん(男性46歳・東北)

手術方法:RK

手術前の屈折度数 1993年3月28日
R S-10.50 C-3.25 AX123
L S-12.50 C-1.25 AX29
手術前の角膜曲率半径
R H791 V760 AV776
L H809 V779 AV794

初回時データ 1997年9月26日
屈折度数    R S-7.50 C-3.50 AX124
L S-9.75 C-1.00 AX43
角膜曲率半径  R H839 V839 AV839
L H857 V839 AV848

最新データ 2006年10月15日
屈折度数    R S-11.00 C-1.00 AX136
L S-12.75 C-0.75 AX77
角膜曲率半径 R H851 V876 AV864
L H853 V859 AV856

40年ほど前、小学校に上がって間もなく、私はすでに近視用のメガネをかけていました。

視力の正常な人の目は常に小刻みに動いています。近視の人の目は動きが止まっているか、非常ににぶいかのどちらかです。 私は気が小さく、その上とても神経質であり、幼稚園を経ずに入学したこともあって、小学校の生活は極度の緊張の連続でした。 他のことあまり口を利かず、脇目もふらず、きちんとただ前だけを見ている子供、そして、心と体の緊張はすぐに目にあらわれました。

いざ、メガネをかけ始めると、松葉杖と同じで、メガネに頼りっぱなし、目が自分で物を見ようとする機能を全く放棄してしまったのです。半年に一度はレンズを作り替えました。あの頃はまだメガネをかけている子供が少なく、周囲からはメガネ猿とからかわれました。 いつもうつむいて歩いていました。

激しい運動の体育は、重く分厚いレンズのメガネがいつ落ちないかと、ただその事だけに非常に気をつかいました。水泳の時は、メガネを外すと先生と生徒の区別が付かなくなり、参加できないと訴えましたが、「おまえ、やりたくないからそんな事を言うんだろう!」と、先生に怒鳴られました。
目の悪くない人は近視の人の状態が理解できないのでしょう。

そんな私ですが、ただ一つ希望がありました。大きくなって20年後か30年後に、医学が進歩して近視の治せる時代が来る、と子供心に信じていたのです。
それが、ソビエトで成功し発展したというRK手術でした。本屋で知り、すぐにその病院へ電話し、予約をとりました。

検査結果は、裸眼視力で0.01でした。
皆さんご存じの視力表では最低が0.1ですが、それよりも悪い0.01なのです。
具体的に言えば、物をハッキリ見るために、例えば本を目の前に持ってきて10cmまで近づけたときにしか、その形が判別できません。
裸眼で生活するとなると、物体の形ではなく、光を感じて行動するよりほかありません。

医者は、RKの威力を絶賛しました。
「瞳、黒目の部分のちょうど中心を少し残して、そこから放射線状に白めに届く位まで何本かメスを入れる。この際、角膜を破らないように患者によってメスの深さを慎重に決める。
また患者によって何本メスを入れるか違う。眼球はちょうど風船と同じで、中心から外側に向かう力(眼圧)があって膨らんでいる。切れ込みを入れる事によって、その部分がより内側から押され、より膨らもうとし、むくんでくる。その結果、黒目の中心部分のカーブが変化し、直径3mm程度のコンタクトレンズをしているのと同じ事になる。

手術後は、裸眼視力の10倍程度まで上がるから、あなたの場合は0.01から0.1となる。
遠くは見えないが、メガネをかけないで楽に本を読めるようになる。
ただし、非常に効果のある反面、少しはマイナスがある。角膜が盛り上がった分だけ、厚さが薄くなり目に何かがぶつかった時、つぶれてしまう可能性がある。これには注意してほしい。
それから、あなたのように極度の近視の場合に顕著にあらわれるが、明るい所と暗い所とでは、見え方が全然違う。明るい所で仮に1.0まで見えるメガネを作ったとしても、そのまま暗い所にいくと0.6程度しか見えなくなる。理由は、暗い所にいけば人間誰でも大きく瞳孔が開き、手術で仮に作った直径3mmのコンタクトレンズでは小さくてカバーできなくなる。

手術直後にその効果に驚くだろうが、朝起きて夜眠るまで、視力に変動がある。朝は角膜のむくみが大きくてよく見えるが、だんだん下がる。でもその変動は不便を感じない程度であり、2~3週間で落ち着く。」

私は、医者からこの話を聞かされたとき、飛び上がるほどうれしかったのです。
私にとってコンタクトレンズやメガネをしないで楽に本を読める事は、もう奇跡でした。小さい頃から目で苦しめられてきたのが、周囲のどこにでもいる軽度の近視の人の、仲間に入れるのです。
視力が上がるという事だけで胸がいっぱいになり、マイナスはそんなものいくらでも我慢してやる、そう心に決め、手術日は平成5年4月となりました。検査日の一週間後です。

手術台にのり、目に痛み止めの麻酔をかけ、切開がはじまりました。メスが近づいてきて、一本ずつ角膜の表面をゆっくりと切り開いていきます。私は、角膜が破れないようにと、必死に心の中で叫びました。痛みはほとんど感じず、10分程度で終わりました。
右目の見え方が少し変わっていました。ぼうっと見える中に、物体の輪郭が浮かび上がっているのです。これが、視力が上がったという事なのでしょうか。

医者は、「すぐに効果があらわれます。これから麻酔がきれると、我慢できない位の痛みがやってきます。早く帰って休んでください。」と言って、痛み止めの薬を差し出しました。
何分、何時間経っても痛みはきませんでした。結局、薬は使いません。その晩は気苦労が多かったせいか、何事もなかったかのように眠りました。

翌朝、起きてまず周囲を見回すと、手術前と状態は同じでした。いっさい、変化は感じられません。
カーテンを引き、窓の外をあちこち眺めても、何十年も使ってきたいつもの私の目そのものでした。
医者は、角膜の状態を丁寧に調べながら、「大丈夫、2~3日中に必ず視力は上がってきます。 心配しないでください。」と言いました。

確かに4~5日経つとびっくりするほど効果が出てきました。
朝、まぶたを開けると、どんな遠くのものもハッキリ見えるのです。もちろん両眼ともです。視力表で1.0は見えています。

しかし、そのあとが問題でした。30分位しか持続しないのです。ずるずる視力は落ちていく一方で、お昼頃には0.1がもう見えないほど、夕方から夜にかけては手術前の見え方に戻っていました。
これが3週間程続いたのです。もう大変でした。メガネを何個も持ち歩かなくてはならないのです。
自分が馬鹿みたいで情けなくなりました。

医者にこの窮状を訴えましたが、「眼圧が低いんだろうな?」と、首を傾げて言うだけでした。
私は、ハードコンタクトレンズで角膜を少しでも押さえつけたら、と言いましたが、手術後の角膜が安定する半年位はそれもできないということでした。

4週間目ぐらいから、朝の目覚めの視力が落ちてきました。
以前は1.0位だったのが、0.5程度となってきました。やはり、メガネを何個も持ち歩かなくてはならないのです。

数ヶ月後には、朝の目覚めの視力が、手術前の見え方とほとんど同じ状態まで落ちていきました。
それからは、朝、昼、夕、夜と変化無く、手術前の見え方と同じになったのです。
実際の見え方は、私としては手術前も後も変わらないのに、器械で検眼すると、2~3ディオプトリー手術後の視力が上がっているそうです。極度の近視の人が、軽度の近視の人のメガネを借りてかけてもなんら見え方は変わらないのと同じ事のようです。しかし、せっかく目を傷つけて2~3D上がったのですから、それを大事にしようかと思いました。半年以上過ぎて、コンタクトレンズもソフトで、角膜の盛り上がりを大事に使ったのです。

しかし、これには非常にやっかいな事がつきまといました。
医者には言われていましたが、明るい所と暗い所では見え方に差がでてくるのです。仮に暗い所で検眼してレンズを作り1.0見えても、明るい所に出ると度が強すぎるのです。逆に明るい所で1.0見えるレンズで暗い所に行くと、ガクンと0.5位まで下がってしまいます。メガネもコンタクトレンズも、作る場所の明るさは決められているはずなのでしょうが、店によってまちまちのようです。
そして、RKを知らない大半の眼科医の方々は、レンズを作るときにその事を言っても、良く対処できないようです。

行動範囲をせばめながらも2年間程ソフトレンズで過ごしました。しかし、その不便さについに飽き飽きし、ハードレンズに変えることにしました。角膜の盛り上がりは押さえつけられて、明暗の差はあまり感じなくなりましたが、それでも多少の盛り上がりは残りました。そして今度は黒目の中心のわずかに切開していないくぼんでいる部分が邪魔になりました。涙がそこに溜まるのです。
ソフトの場合は柔らかく包み込み、どこもだいたい一様に密着しているため感じないのですが、ハードは涙が見えにくくするのです。これは、夜、ライト等を見ると不快に思います。うまく表現できませんが、まばたきのたびにレンズが動き、そのたびに涙がぼうっと広がり邪魔するのです。

そのままつらい数年間が過ぎました。その後、アイランドの存在を知り、現在、人工のカーブの角膜から、人間本来の美しい自然な角膜に戻そうと頑張っています。 相手がメスだっただけに、どこまで戻るかわかりませんが、今いえることは、極度の近視でも充分に生活してきたではないか、世の中には目の見えない人がたくさんいる、それに比べて自分はなんと幸福ではないか、手術はいったい何だったのか、と思い始めています。
近視の人は、夜、裸眼で丸い明かりを見ると、実物よりも大きくぼうっとふくらんで見えます。 私はぼうっとふくらんだ明かりに、くっきりと切開の傷跡が何本も見えるのです。一生消えません。
夜、光を見るたびに見える幸福を心から感じています。

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ちなみにメンバー9人が手術を受けたクリニックは品川近視クリニック5名、神戸クリニック1名、錦糸眼科1名、他眼科2名です。

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