打 敏智
眼鏡小売業界の技術者の総本山とも言うべき組織は「日本眼鏡技術者協会」である。
連盟加盟の店にいるのも「認定技術者」である。
この業界では「技能者」という呼び方はあまり聞かない。
しかし補聴器においては(財)テクノエイド協会が認定している資格は「補聴器技能者」である。
公的であるかないかを問わず、資格名には「○○者」というのもあるし「○○士」というのもある。そして、「技術」というのが入っているのもあるし「技能」というのが入っているのもある。
それらのニュアンスの違いについて少し考えてみよう。
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まず、「者」と「士」ではどう違うか。
元々「者」は、単に「○○をする人」というほどの意味で、特に専門的であるという感じはない。たとえば「傍観者」「相談者」「入会者」とかいうふうに用いられる。
だから「補聴器技能者」となれば、補聴器に関する何らかの技能を持つ者(人)、ということに相違ない。
一方「士」は、単なる「人」ではなさそうだ。それは武士の「士」から来たものであろうから、私利私欲を顧みずに公益のために尽くす人、というふうに理解するとわかりやすい。
「医師」は、昔は薬持ちと言われた弟子を無償で教え育てたという歴史的な背景のもとに
「師匠」の「師」がついているが、これはいまでは「医士」とした方が専門職としての名称にはふさわしいのである。
だから、その資格が営利追求よりも公益に奉仕するという性格が強いものであればあるほど、「者」よりも「士」の方が似つかわしいのではないかと思う。
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次に「技能」と「技術」の違いはどうだろうか。
あの会社は良い技術を持っている、とは言うが、あの会社は良い技能を持っているとは言わない。 なぜなら、技能というのは属人的なものだからである。
技術は図や言葉で表すことができるが、技能はそれが非常に難しい。
技術は特許として登録できるが、技能はそれはできない。
逆に言うと、技術の中で特許にはならない作業的な性格のものが技能なのだと言って良い。
普遍性の高さということで言えば、科学、技術、技能の順になる。
科学の目的は「知る」こと。より深く、より広く知ることである。
「発見すること」も、科学の目的の ひとつである。
それは「冥王星の発見」や「万有引力の発見」などのように自然に関するものだけとは限らない。「パレート均衡」のような経済学上の発見もある。これらはすべて科学の成果である。
(近代経済学は数値を用いて説明できるので、自然科学に一番近い社会科学である)
それに対して技術の目的は「作る」こと。より良いものを作ること、より低コストで作ること。
「発明すること」も技術の目的の一つである。
では、技能の目的は何か。
それはやはり、技術の目的と同じで「作ること」である。ただし、技術の場合もそうだが、その場合の「作る」は広く捉えて、たとえばマッサージの技能で元気な身体を作る、と解釈すればいいわけである。
ただ、科学・技術・技能と並べてその違いを比較検討する場合には、一応何か形のあるものを作るとしておいてよかろう。
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さて、技能の目的は技術と同じであるが、ではその内容もすべて同じかというと、そうではない。
先ほど「技能は属人的なものであり、図や言葉で表せないもの」だと言った。
それは言換えれば、「技術の中で、機械ではなし得ることができない人間による作業の部分が技能なのである」とも言えよう。
だから、「練達の」という修飾語がつけば、当然「技術」よりも「技能」の方がふさわしいだろう。
すなわち、技能は人間の「手」なくしては成り立たないものであり、そのレベル向上には相応の時間を要する。そして技能は、アタマで理解してもそれだけで身に付くわけではない、カラダで覚えていかなければならないものである。
また、技能は先輩から直(じか)に教わるか、あるいは自分で苦労して磨いていかないと身につかないものであり、そこが、本で理解すればそれを使えることもあり得る(必ず可能とは限らない)ところの「技術」との違いでもある。
一方、科学というのは、「知る」ものであるから、「手」は必須のものではない。たとえば身体の障害か何かで、手が動かない科学者(学者)というのも、その種類によってはあり得る。
しかし、手が動かない技能者というのはまず考えにくい。
もちろん、技能というほどのものを必要とはしない性格の「技術」に携わる人間においても「手」は重要であろうが、その両者における「手」の比重はかなり違うと言えよう。
以上をまとめると、およそ下のようになる。
科 学 | 技 術 | 技 能 | |
目的 | 知る (発見する) |
作る(創る) (発明する) |
作る(造る) |
手段 | 頭 >> 手 探求 |
頭 & 手 習得 |
手 > 頭 練磨 |
そこで、「補聴器技能者」という資格名を考えてみると、まず「士」ではなく「者」であることから、公益に奉仕する専門職という性格はそこにあまり入れられていないのではなかろうか、という印象がある。
また、「技術」者ではなく「技能」者なので、頭を働かせることよりも手を動かすことの方をより期待されているというか、重要視されているのではないか、とも感じる。
しかし、何の技能においても、それをハッキするのに頭の働きがいらないなどということはないわけだし、補聴器技能者に合格するのに専門知識は不要などということはまったくないのはもちろんである。
それはその資格取得のために必要な勉強のカリキュラムからしても一目瞭然である。
だから、補聴器技能者ではなく技術者であってもなんらおかしくはないと言える。
ではなぜ「技能」者と命名されたのであろうか。
私はそこにその名を決めた人の偏見とも言うべき意思を垣間見る思いがするのである。
すなわち、補聴器技術者においては、高度な専門知識よりも、器用な手技の方が大事なの
だという考え方を、どうしても感じてしまうのである。
それは「言われなき差別意識」だと言えるのかもしれない。
(平成13年3月)