品格って、何でしょう?
岡本
お茶の水女子大学の数学の教授、藤原正彦氏が書かれた『国家の品格』がベストセラーになりました。
私も、あの本が出てすぐに読みました。たいへんよかったです。
ちなみに、藤原氏は数学の教授なのですが、義務教育においては国語教育が一番重要だと言っておられます。同教授の書かれた本はこれまでにも私は何冊か読みましたが、どれも面白いです。そこでみなさんにおたずねします。
「眼鏡店の品格」とはどういうものを指して言うのでしょうか。どんな眼鏡店が品格(あ
るいは「格」)の高い眼鏡店なのでしょうか。
あるいは、貴店は、より格の高い眼鏡店となるためにどういう努力をしておられるでしょうか。
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若井
私は「眼鏡店の品格」とは何か?ということを考えられるほどの経験を積んでいないので何とも言えません。またチェーン店に勤務しておりますので、そのようなことを考えないでいたほうが、もしかしたら素直に会社の言うことが聞けるのかもしれないです。
しかし私は素直に素通りできない性格なので、よく会社の方針に「これはどうなんだろう?」と思ってしまうことがあります(^_^;)
「格の高い眼鏡店になるために」という論点からはズレてしまうかもしれませんが、少な
くとも常にその時に自分のできるベストを尽くすことを心がけてます。また「自分のでき
るベスト」のレベルを上げるように勉強しているつもりです。
「自分のモチベーションをどの位置でキープするか?」ということが重要なのだと思います。
質問の回答になっていないような感じになってしまいすみません。これが今日現在での私なりの考えです。
岡本
このMLメンバーの中では、業界での経験が一番短い若井さんから、真っ先に品格についてのご意見をいただきました。では業界歴の長いみなさんのご意見はいかがでしょうか。
貴店は品格の高い店でしょうか。それとも、そうでもない店でしょうか。老舗中の老舗である「せのをや」の店主である永光さん、いかがでしょう。
浜田
品格というのは一朝一夕にできるものではありません。
長い歴史があり、歴史に培った伝統があり、はじめて品格というものができてくるものではないでしょうか。
ですから、「眼鏡店の品格」とは、品位の高い人間やるメガネ屋が3代続いたぐらいで「品格が高い」といえるのではないでしょうか。
岡本
それは、「老舗には品格の感じられる店が多く、今日や昨日できたばかりの店には品格を感じられない店が多い」というご意見ですね。それはある程度言えているかもしれません。
ただ、それだけでは「眼鏡店の品格とは何か?」という問いの答えにはなっていないように思うのです。
その証拠に、少し前に歴史を閉じた大阪の梶彦さんは、江戸時代から続く老舗中の老舗でしたが、最近では品格のない店になっていました。
また、まったくの新しい店でも、品格を感じさせる店もあると思います。
そして、ハマヤさんも、メガネの専門店としては、老舗ではないでしょうけれど、地元の人は、あそこは品格のあるメガネ屋さんだ、と思っていると思います。
それは店主自身の外見的な品格とはまた、別の問題でしょう。(失礼!)
では、品格のある店とはどんな店なのでしょうか。
青島
品格が高い、品格がある、をはっきりさせるには「品格のない」メガネ店を考えるとわかりやすいのではないでしょうか?
たとえば値段だけをクローズアップして集客する店は老舗でも品格ないなと思うし、お客さんのことを考えずに売れればよいと考えて通販をするとかも同様ではないでしょうか。
そう考えると、お客さんの立場にたって最善のメガネを提供する事を継続するメガネ店が品格のある店と評価されるのではないでしょうか?
(それによって自然と店も人も磨かれ品格が出てくるのではないでしょうか? 自分はまだまだです。)
岡本
なるほど……。では、通販はともかくとして、こんなに安くてもメガネができますという
ふうに価格(デパートなどよりはかなり安い)も示した宣伝をして、お客さんのために安
くて良いメガネを提供している店なら、品格のある店でしょうか、ない店でしょうか。
青島
うーん難しいところですね。自分としては値段を前面に打ち出す事は品格が下がると思うのですが。
岡本
そうですね。価格の他にも、たとえば、メイドカフェならぬ、メイドメガネ店なども、品格がある店とは言えないでしょう。
野々村
萌えー (^_^) メイドメガネ店……ね。行きたいですね。
これが品格だ!
岡本
では、「品格」についての私の考えを申しあげましょう。
辞書で「品格」を引くと「品性、気品」などと出ていますが、これは辞書によくある「言い換え」に過ぎません。
ネットで「品格とは」と検索をかけると、ブログなんかにいろんな書き込みがありますが、私の見るところ、どれも十分ではありません。「品格」の一部の要素をとらえていそうな説明はありますが、人間の品格から、料理の品格、商品デザインの品格、国家の品格、企業の品格、店の品格、と、あらゆる「品格」を説明し得る定義のようなものを述べたサイトはないようです。
そこで、私なりに、定義してみます。
「ある主体における品格とは、他からの評価において、その主体が本来持つ本能や欲望や機能や目的があらわになっていないように感じられる場合に、その主体が持つと言えるものを言う」食べたい、ヤリたい、もっとお金がほしい、もっと名誉がほしい、などという自分本位の本能や欲望をあらわにした人間の態度行動などには品格は感じられません。
たとえば、男前が立派な服装をしていても、風俗街をきょろきょろして歩いていたのではそこに品格のカケラも感じられませんし、一流ホテルのフランス料理のレストランで高級な身なりをした女性が、もしもガツガツものを食べていたら、やはりその女性の品格は吹き飛んでしまいます。
人の親ならば、自分の子供がかわいいのは当たり前ですが、危険な国へ勝手に行った我が子が捕らわれて「お前の国の自衛隊は撤退せよ」と言われたときに、我が子かわいさの余り政府に自衛隊撤退を要求するというのは品格がありません。
逆に「私の子供が悪いのですから自衛隊にはそのまま留まってくださるようお願いします」と言える親には品格を感じます。
また、たとえば、東ち○るさんは鼻も口も小さいので非常に品格のある顔立ちですが、もし、あの鼻と口がたいへん大きくなったらどうでしょうか。
品格はかなり落ちるでしょう。
その理由は、鼻や口が大きい顔立ちからは、においをかぐ、呼吸をする、ものを食べる(口)という本能的欲求が、より強く感じらるからでしょう。
誰でも、他人よりも自分の方が大事ですが、そこをあえて他人への敬いを表現する敬語を話す人と、自分の気持ちをあらわにタメ口で喋る人とでは、どちらに品格を感じるかは、述べるまでもないことです。
ブタの丸焼きは、栄養はありそうだけれど、いかにもグロテスクというもので品格はありませんが、どれだけ腹の足しになるかはわからないような高級な懐石料理には誰が見ても品格があります。
また、物はいくらも入らなさそうだけれど、いかにも趣味のよい、品格を感じさせるハン
ドバッグもあります。 ハンドバッグは大きいものほど、すなわち、ものを入れるという
本来の機能が増すほど、品格は落ちてきますね。
腕時計の場合は、時刻をそのものズバリで表示するデジタルのものは、どう作っても品格は出なくて、針式で数字も書いていない物に品格を感じます。
国民国家の本来の機能は国民の生命安全と財産を守ることです。
そのために国を富まし戦争に強くなることが要請され、それをより強化することが国益に繋がるのですが、国益を追求するあまり、政治カードとして隣の国の歴史認識にイチャモンをつけてみたり、国境のあたりの地下資源を無断で掘り起こしたり、そのあたりに石油があるとわかったとたんに急に「あの島は自国の領土だ」等と主張したりする国に品格なぞあろうはずがありません。
では、企業はどうでしょう。
企業の目的は一つではないでしょうが、やはり一番の目的は、儲けてより大きくなろうとすることでしょう。 しかし、それにしゃかりきになって、違法なこと、あるいは違法で
なくとも倫理的に感心できないようなことをする企業、手前勝手な宣伝が鼻につく企業には品格は感じられません。
では、眼鏡店の場合の品格とはなんでしょうか。
それはやはり他業種の店と同様に、店作り、商品、宣伝、接客などにおいて「儲けたい」「もっと売りたい」「もっとコストを減らしたい」というにおいががプンプン臭ってくる
店には、品格が感じられないということです。
そして、店の人が尊大でも卑屈でもなく、店の外観や内部が、華美でもなく貧相でもなければ、そこに誰もが「品格」を感じるのではないでしょうか。
しかし、営利企業であるなら、儲けるためには、ときにおいては「なりふりかまわず」と
いうようなこともしなくてはならないでしょう。儲けのために、ユーザーの困惑も十分予
想できるのに、メガネやサングラスを通販する店には「品格」はないと言えるでしょう。
また、視界の全部がハッキリ見えるわけでもないのに「全視界メガネ」という登録商標で宣伝するメガネ店にも、もはや私は品格を感じません。
そういうことで、人間における「品格」が「生命力」「たくましさ」と矛盾するように、企業における「品格」は「経済合理性の追求」とはかなり両立しにくいもの、というか、本来、矛盾するものだとも言えそうで、企業や店は大きくなればなるほど社員に給料やボーナスを払うために経済合理性を追求しなければならなくなりますから、品格を維持することは難しくなるのです。
たとえば、そこそこ大きくて老舗と言われる店で、一般的には「品格のある店」と思われているところでも、チェーン化すると段々に本当の品格が薄らいでくることがよくありますね。我々の目で見れば、なんであんな見てくればかりで品質としては劣る商材に力を入れるのかな、と思うこともあったりします。
「一見」ではなく「本当に」品格のある企業(店)で、それを継続維持できる企業(店)というのは、実に少ない……というか奇跡とも言える存在だと言えるのかもしれませんし、品格を維持しながら量的な発展を継続するというのは実際には不可能だと言ってもよいのかもしれません。
「量の追求に未来はなく、質の追求に限界はない」という金言を思い出しました。
品格のある眼鏡士になりたい
若井
「品格」についてのお話、とても参考になりました。メイドメガネ店なんていうフレーズ
まで登場してきたのはビックリでした(^^)
私は後数ヶ月で専門学校の通信過程を卒業して認定眼鏡士となる資格が得られるのですが(多分卒業できるとおもいます……多分)「品格」ということも考え、その名に恥じないようになりたいと思っております。
ちなみに「品格」は2006年の流行語大賞に選ばれたそうですね(^^)
岡本
秋葉原にできたメイドメガネ店の社長と、R屋の社長との対談記事が『新発想眼鏡店オーナー対談』として月刊「THE EYES」(2006.11)に載っていました。
お二人の話は興味深く読めましたし、部分的には同意できる点もあるのですが、どちらの店からも私には品格は感じられません。いわば「色仕掛け」でメガネを売ろうと言う店と、通販でもなんでもよいからドンドン売ろう、という店ですから……。
それと、メイドメガネY氏も、ネットによるメガネの通販を手がけていたということです。
まあ、メイドメガネ店だとか、枠をまったく置かないでレンズだけ売る店(R屋は最近そ
ういう支店も作ったと、少し前の業界誌に載っていました)だとかの「画期的な新発想」
は、メガネ通販でユーザーの多少の困惑もかまわない、売れたらよいのだという「新発想」が浮かんだらそれを実行できる人でないと、出てこないのでしょう。
枠を置かない店などは、メガネ通販をバックアップする感じですので、メガネ通販110
番の姿勢とは180度反対ですね。
メガネの枠というものは、その枠に入れるレンズの度数だとか種類だとか、その人の顔の大きさだとか、いろんな要素を考慮して専門家の助言を聞きながら選んで頂くものだと私は思うのですが、枠無しメガネ店では、ご本人が気に入っておられるのなら、どんどんそこにレンズを入れますよ、という方針なのでしょう。
そうでなければ、けっこうな率で持ち込み枠をお断りしなければならないことが生じてきますから、そんな、枠の店内在庫が無い店なんて元から作らないと思うのです。
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