[ML談義」 続々・眼科医師と連携して眼鏡士を国家資格に?

前回の法制化が流れて良かった

岡本
拙著書『眼科処方箋百年の呪縛を解く』と、若干の資料を薬剤師のAさんにお送りしたところ、下記のご感想をいただきました。

薬剤師A
先日お贈り下さいました、岡本様の大切な著書である、『眼科処方箋百年の呪縛を解く』と添付の資料を確と拝読いたしました。

素人の私なりの、感想と疑問点を述べさせて頂きたく存じます。
まず、全てを拝読して一番に感じたことは、「第二次試案が成立していなくて本当に良かった……危なかった……」ということです

冒頭で、岡本様は「家を建てるとき」と「眼鏡が欲しいとき」を対比して議論されていました。
家を建てる場合には、(a)設計家に依頼して設計をしてもらい、それから工務店に施工してもらう方法、(b)大工や工務店に直接頼んで建ててもらう方法、があり、「(a)の場合は建てる人とチェックする人が別であるということから、いわゆる手抜き工事は生じにくいといわれているが、何かあったときの責任所在が不明瞭」と述べられていますが、この場合の『別』の意味するところは、『independent 』ですよね。

一時期世間を騒がせた姉歯事件について、姉歯建築事務所が設計し、木村建設が施工するという 『別』 組織による建築施工が行われているように見えていた(見せかけていた?)マンションについて構造上偽装が問題となったケース。

もちろん、事件の主役は姉歯氏で、彼の行った偽装はどのような事情があっても許されるものではありません。 でも、「偽装してしまった気持ちは理解できなくもない」部分もあるように思います。
姉歯氏曰く、施工会社から「もっと安くあげろ、鉄筋の数を減らせ」と圧力を受け「断ると仕事が来なくなる」と思い偽装したとか……。
これこそが、『 dependence(依存) 』が生んだ災いだと思います。

眼科処方箋で眼鏡を作る場合について考えてみますと、家を建てる場合と大きく異なる点は、なぜか家を建てる場合は、設計家が施工業者に圧力を受ける構図 「断ると仕事が来なくなる」 。 眼鏡を作る場合は一般的には逆に、施工業者(指定眼鏡店)が設計家(眼科医)に圧力を受けがちな構図になっているのですね。

眼鏡が欲しいときにおいても(もっとも、この場合は故意の偽装は想定する必要がないかもしれませんが)、処方する人と作る人が別の場合、作った後で処方した人がチェックすれば 「加工段階(施工段階)での」 手抜きやミスは起きにくいと思われますが、「度数決定段階(設計段階)での」手抜きやミスを防ぐためには、少なくとも処方する人(眼科医)と作る人(眼鏡士)が全く『independent 』でなければ不可能であると思います。

むしろ、処方する人(眼科医)と作る人(眼鏡士)が全く『 independent 』でない状況では、処方する人と作る人が 「別」 であっても、そのことでユーザーがよりよい眼鏡にめぐりあえる確率が上がるとは思えません。

岡本様の記述を読んでいくにつれ、益々この『 dependence(依存) 』こそがユーザーにとって悪でしかないと確信しました。

まず、眼科医が指定店舗制をとり、キックバックを受けるという話は、ユーザーの私も知っていたのですが、再処方時のレンズ代補償も、キックバックの一種であるということを、岡本様の記述を読み、理解しました。

処方箋持参の客は2割引で、眼科へキックバック4割払い、再処方時のレンズ代を補償してもペイする眼鏡店の話とか……ユーザーとしては、そのような眼鏡店が、どこでどうやってコストをセーブしているのかがとても不安です。

あるいはそもそも、眼鏡ってそんなに粗利益の高いものなのですか?!
結局は、そのような『 dependence(依存) 』によって生まれるキックバックのコストはユーザーが払っているのですね……もしそうなら、何ともバカバカしいシステムです。

そもそもなぜ、このような依存関係が生まれてしまったのか、という原因を考えますと、「眼科処方箋の存在による影響(プラス、眼鏡士さんの志の問題)」に集約されると思いました。

まず、岡本様曰く、「医師が疾患がないかどうかとか健常な視力が出るかどうかを調べる屈折検査は「医行為」で、単なる屈折異常だと判断した眼に対する眼鏡等の処方はもはや「治療」ではなく「光学矯正」で、眼鏡処方に保険点数が付かない」この事実、私自身は初めて知りました。

では、それでも眼科医が「単なる屈折異常の人」に眼鏡処方を行うのは

(A)サービス(奉仕)としての認識、
(B)その処方が医行為でないことを自覚していない、
(C)キックバックを暗に期待、

のどの理由からなのでしょうか?

(C)はもう今更何も言うことがないとして、もし、(A)や(B)の場合は少なくとも
眼科医は、患者に良かれと思っての眼鏡処方行為を行っているはずです。

特に、(A)の場合についてですが、
サービス(奉仕)としての認識である場合に、自らのサービス(奉仕)で書いた眼鏡処方箋で問題が生じた場合、尻ぬぐいのコストを、眼鏡処方を生業として営んでいる眼鏡店(結果的にユーザー)に押しつけるというのはおかしな話だと思います。

本当に、自らのサービス(奉仕)で眼鏡処方箋を書いている、という眼科医がもしいれば、その眼科医は最後までサービスを貫き、自分で責任を負う覚悟でいるべきであり(再処方の際のレンズは自腹を切る)、それができないのであれば、このサービスは、ユーザーにも眼鏡店にも無責任迷惑な行為以外の何でもないと思います。

「家を設計する設計家と実際に建てる施工業者を比べた場合にどちらが難しいか、あるいはどちらが責任が重いか、あるいは、どちらが肝心か」について、岡本様は「設計以上に良いものにするのが無理だから、設計が肝心」と述べていらっしゃいました。
その点については、私も同感です。

ただ、もう一つ、心得ておかねばならないと感じることはがあります。
それは、とりわけ優秀な設計家は自らの手で施工できる能力を備えているし、逆に、とりわけ優秀な施工業者は設計の意図を理解し、くみ取った上で施工するものであるということです。

従って設計あるいは施工の業者のいずれかがとりわけ優秀な場合はもう一方のレベルが著しく低くても問題は生じにくい気がします。
単なる屈折異常の人への眼鏡処方の場合について、眼科が処方箋を発行し眼鏡店が眼鏡を作るというケースでは、ユーザーとしてまず疑問に思うのが「設計家の眼科医がどれほど眼鏡に詳しいのか?」ということです。

あるいは、「眼鏡に詳しくなろうと勉強しているのか?(そこまでする気があるのか?)」とういうことです。もし、そこまでの気がないのであれば、眼鏡に関してはプロフェッショナルの眼鏡士に任せるか、少なくとも眼鏡士の意見を取り入れる必要があると思います。

逆に、もし眼鏡士が、病気の発見の義務はないにしても、「屈折異常の理論や眼の構造に詳しいか、あるいは詳しくなろうと勉強している」ということであってほしいです。
もし、ユーザー本意の眼鏡をつくることが目標の眼科医や眼鏡士であればそのように期待したいです。

岡本様は、「眼科医が視力障害を訴える人を診療(屈折検査も含む)して、それが単なる屈折異常や老視であるとわかれば、それは病気ではないから、以後は医師は関与しなくて良い」という立場を示されていました。

また、「これは眼鏡技術者にとってもやりやすく眼科でも処方度の選択という面倒なことに時間をとられることなく、疾患の診療に専念できて良いのではないかと思う」と述べておられ、その上での「処方箋」(治療用)と「連絡書」(光学矯正用)の区別を提案されておりました。

私は「連絡書」の案はとても喜ばしいもので、光学矯正用の眼鏡処方については眼鏡店主体となり、眼鏡店が不本意なレンズ代をかぶることもなくなりますし、眼鏡店は、晴れて眼科とは『 independent 』な、技術力勝負での自由競争が進み、眼鏡ユーザーにとってはありがたいことばかりです。

さらに、そのような状況になれば、(低レベルな安売り店以外の)各眼鏡店は競って技術力をつけようと、より勉強される気がします。
きっと、そのような状況では、技術が売り上げにつながるでしょうから。

巻頭で、眼鏡学校において「眼科医師の処方箋には絶対にその通りに従わなければいけません」という教育がなされていたというお話が書かれていましたが、これは驚きでした。 このような教育がもし今もされているのでしたら、眼科医師への『 dependence 』の大きな原因になると思います。

眼鏡学校において、どうして「あなたがたは眼鏡処方のための検眼のプロフェッショナルを目指してください。何も臆することはありません。よりよい眼鏡処方のために否応なく眼科医師の処方箋に従わない場合も法的には全く問題がありませんので、よりよい眼鏡処方のための検眼を提供できるように日々腕をみがきましょう」とはっきり学生方に言えないのでしょうか?

その理由が、「処方箋には、度数を勝手に変えてはいけない治療用のものが含まれているため」であるならば、なお一層、岡本様ご提案の、「処方箋」(治療用)と「連絡書」(光学矯正用)の区別が教育的配慮からも早急に必要に思います。

岡本様との前回のメールでの眼鏡士法制化に関する議論で、岡本様曰く、「いま、眼鏡士の国家資格化をのどから手を出して切望しているのは学生が集まらずに困っている眼鏡学校だけで、業者もユーザーも、割合さめているのですが、技術者協会の首脳にはいま、青息吐息の学校を救わねば!という思いが強いようです」ということでしたが、眼鏡学校の教育関係者の方々は眼鏡士法制化(業務独占・名称独占)に頼る以外に、卒業生が、気兼ねなく習った技術を発揮し、活躍しやすい場を築くことも大切で、「青息吐息の学校を救う」には、はるかに効果があるかと思います。

そもそも、「屈折異常は疾病か」 についての議論において、岡本様は「売薬に頼って適切な治療のチャンスを逸する割合よりも、眼鏡店における眼鏡矯正が一時しのぎとなって眼や全身の病気の治療のチャンスを逸して病気の進行を早めてしまった、というようなことの割合ははるかに少ないはずである。

それはなぜか。薬屋で薬を売る人は、その症状の原因をほとんどわからず、ただ相手の訴える症状に対して、自分が良いと思う薬をすすめるだけであるのに対して、眼鏡店では屈折検査をして良好な矯正視力が出ることをわかって、後に矯正眼鏡を調製するという、そういう違いがあるからだ。 薬を買うのとは違って、眼鏡矯正の場合はその効果を予め知ることができるから、それでダメなら自ずと医師の所へいくということになるのである」と記されていました。

私も、おっしゃる通りだと思います。
「薬は効果が即出るとは限らない」ことがあることが、売薬のリスクを上げている気がします。 (そのため、売薬には『説明文書(添付文書)』が同梱されており、そこには必ず、『次の場合は、ただちに服用を中止し、医師または薬剤師にご相談下さい - 5~6回服用しても症状がよくならない場合』とあります。
私には、この5~6回という基準がどのようにはじき出された数字であるのかがわからないのですが、売薬のリスクをユーザーに認識してもらうために、製薬会社の自衛策の一つともいえると思います。)

また、売薬のリスクを上げている別の要因として、眼鏡の場合よりもはるかに、症状と原因の対応関係が複雑であることもあると感じます。
例えば、客に「微熱が続く」と言われても、軽く風邪をひいているのか、心因性のものか、はたまたガン性のものか、医師が医療行為を実行しない限りわからないのです。

その医療行為あって、はじめてその患者には解熱鎮痛薬で良いのか(良かったのか)の判断ができます。
しかしながら、現実には薬剤師にその医療行為をする術はなく、薬剤師がとりあえずの判断で解熱鎮痛薬を売ったとしても、上の5~6回ルールで、「きっと不都合があれば病院にいくだろう」という前提で薬を売るのです。(まさに他力本願で無責任……)

その点、眼鏡の場合はもし客が「最近遠くが見えにくくなった」といえば、多くの場合は「最近遠くが見えにくくなった」→「屈折異常(近視)」→「凹レンズの眼鏡の処方」の流れが大まかには成り立つでしょうし、これで正しいかどうかも、医師が介入するまでもなく、眼鏡調製者自身の術と責任でチェックすることができます。

このことは、薬剤師である私が、眼鏡士の皆さんを本当に羨ましく思うことの1つです……。
薬剤師と違い、眼鏡士は、法的には独立して検眼・眼鏡処方できるという好位置にいるのですから、もっと前面にそれを打ち出し、その恩恵を享受されていけばよいのにと思います。

まして、独立して業務することが許されているのにわざわざ、眼科への依存を好んでいるかのような状況、眼鏡処方箋による束縛、キックバック提携、検眼に関する規定の含まれた安易な法制化の推進 etc……全く理解しがたいです。

岡本様曰く、眼鏡士の「士」は武士の「士」だとのこと。士は誇り高き、責任感のある人物だと……。
どうも、ユーザーの私が見ていると、眼鏡士と自称する人の中には「眼鏡商」である人も少なくない気がします。

ネット通販でフィッティング無しに眼鏡を販売する、責任感が欠如した自称 (社)眼鏡技術者協会認定眼鏡士、キックバック提携をし、自らに何の責任もないはずの再処方の眼鏡レンズを無料で入れ替えることができる、誇りを捨ててしまった眼鏡士、(社)日本眼鏡技術協会にお金を払って入っていれば、法制化になってもきっと自分はフリーパス、後で来る奴が試験を受ければ良いと思っており、もはや自らが誰のために眼鏡をつくるのかを忘れてしまった眼鏡士、_やはり、今回の議論もまたもや「眼鏡士が士であるには「各人の志(士の心)」に依存する」ということに帰着しそうです。

以前の法制化の議論の際に、私は「そもそも法制資格化について議論するのに、(社)眼鏡技術者協会の中から委員会を立ち上げた時点で間違っている気がします」と申しあげましたが、今一度、それを確信しました。

法制化を議論する前にすべきことがある気がします。現存の(社)眼鏡技術者協会をまず解散しないと話にならない気がします。
解散の上で、再度、老若男女問わず、一から理論や実技の試験などを実施し、合格者のみに協会員になる資格を与えるなどとすれば、その会の存在意義もますと思います。(これまでの、講習会を受けてれば更新されるというような形式的、受動的システムではなく) さらに年会などで、眼科医と眼鏡士の意見交換の場も設けられれば申し分ありません。

既存のこの(社)眼鏡技術者協会所属の会員の技術のレベルが、ユーザーにとってわかりにくいものであるから、一部のユーザーが変に法制化に期待をしてしまう気がします。
私はそもそも、(社)眼鏡技術者協会が改革され、資格(もっといえば、民間資格でも十分)として定着すれば法制化は不要に思うのです。

(社)眼鏡技術者協会の中から委員会を立ち上げ、法制化推進の議論をするということは、委員自ら、「既存の(社)眼鏡技術者協会の認定のシステムがあてにならない」と自らの組織を斬っているようなものではないでしょうか。

それを自覚されているのなら良いのですが……
ユーザーとしては、「ならば、自らのその現状をまずどうにかせよ」と思うのです。
とにかく「第二次試案が成立していなくて本当に良かった……危なかった……」と改めて実感しました。

辛くも阻止してくださった賢明な関係者の方々には、ユーザーとして本当に感謝です。

岡本
拙著書の読後感想のメールをありがとうございました。
お書きいただいたことの、鋭い洞察にあらためて感じいる次第です。

眼鏡学校での教育ですが、どこの眼鏡学校でも「眼科の処方箋のとおりに作りなさい」と、建前を言うだけです。その方が無難ですので。
日本眼鏡技術者協会も、眼科の処方のとおりに作らない方がよいこともあるのは重々承知ですが、そういうことは会員にもユーザーにも言いません。
そういうことを議論しようともしません。

組織の中で、あるいは、眼科との間で波風は立てたくないということで、まあ、このことについては、学校も会協会も協会系の日本眼鏡学会も逃げの姿勢です。

それと、協会としては、眼鏡士はできれば、国家資格になっていればよいけれど、それはすぐには無理なので、とりあえず、社団法人が発行する資格としての眼鏡士ということでしかたがないな、ということですね。

でも、通販する眼鏡士を処断(除名)すべき、と私から公開質問で言われてから、もう1年以上にもなるのに、いまだにそれを実行できない協会執行部は、会員眼鏡士に対する統治能力の欠如を露呈してしまっているわけですから、そういう執行部に対して、したたかな眼科医会と折衝をして、我々にとって不利にならない内容で、もちろん国民にとっても望ましい内容の法制化を実現させることを期待できるかと言えば、それは大いに疑問です。

投稿日:2020年10月18日 更新日:

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